カルタでおなじみの『百人一首』や『新古今和歌集』撰者として知られ、鎌倉時代の歌壇において指導的立場にあった藤原定家(1162~1241)。国文学者として和歌を研究する小林一彦教授は、古典籍1や古文書を手がかりに藤原俊成・定家・為家、さらにそれ以降の歌人たちの足跡を追っている。
全身で受けとめた、古典籍の息づかい
——— 先生はなぜ、古典の研究をしているのですか。
今も昔も、生きていくうえで最もつらいことの一つは「孤独」でしょう。あなたは不要、と烙印を押されること、社会とのつながりが切れてしまうことです。古典はこうした感情を和らげてくれます。一人ぼっちで「身を要なきものに思ひなして」漂泊する人物が古典には数多く登場します。現代人の多くの悩みは、すでに古典作品に描かれているのです。古典の中に心の友を見つけて、現実に立ち向かう勇気を得ることができると思いませんか。
実務的なスキルと異なり、仕事や生活に古典の教養が直接、役立つ場面は決して多くないかもしれません。しかし古典文学は哲学や美学などと同じように「遅効性の学問」として価値があります。長い人生のどこかで必ず、役に立つと思っています。
平安や鎌倉を生きた日本人が皆、花鳥風月を愛でながら典雅に暮らしていたわけではありません。無常の世に生きながらも、ふつうに嫉妬や駆け引きがあり、官位をめぐる出世争いも日常茶飯でした。それは藤原定家も、『方丈記』の作者である鴨長明も同じで、芸術家であるとともに権力者との微妙な距離をはかる現実主義者の一面がありました。
現代と何ら変わることのない人々の生きざまさえ伝える古典は、いままさに読まれるべきコンテンツです。単なるおとぎ話やノスタルジーではないといえます。
わたしは、古典文学を研究することと「日本人はこういう民族だ」と考えることは同じだと思っています。日本人の魂を次代につなげたいという願いを胸に、学生たちと過ごしています。
——— 今は何の研究をしていますか。
今は定家の家系(御子左家)を中心に研究をしています。定家はわが国の「文化功労者」です。日本は書き写しの文化で、誤字がどうしても生じます。古典の写本を比較してテキストを定めた功績は計り知れません。
目下の最大の関心事は、先行研究が見過ごした点を拾いながら為家以降の実情に迫り、中世和歌史の研究に新たな地平をひらくことです。
——— 古典籍の研究はどのように進めるのですか。
書誌学的な要素を中心に書物や作品の姿を明らかにした解説をつけていきます。これを「解題」といいます。ご縁があって『冷泉家時雨亭叢書』の解題を執筆させていただくことになったのです。
冷泉家は藤原俊成・定家父子を祖とする家系で二十五代を数え、古典籍や古文書を八百年にわたって守り伝えてきました。膨大な門外不出の古典籍群、この「什物」の一端をひろく研究者や一般に公開すべくスタートしたのが『冷泉家時雨亭叢書』刊行プロジェクト(平成元年~二九年)です。古典籍・古文書を精巧な影印版(写真版)により、専門研究者の解説をつけて出版するというのが、その趣旨でした。
冷泉家は京都御所(京都市上京区)の北にあります。現存する公家の住まいは全国でここだけです。御門をくぐり、公家屋敷の奥に畳敷きの調査室があります。御蔵から運ばれてきた古写本と対面したときの緊張感は、人生で無二のものでした。御本に呼ばれた、という不遜な使命感も湧いてきました。
平安・鎌倉時代の古典作品の原本ないし原本に限りなく近い古写本が、眼前にある状況が夢のようでした。何世紀も隔てた作者や書写者の息づかい、守り伝えてこられた冷泉家歴代の思いを受けとめ、調査に取り組みました。先人たちや後代に対して恥ずかしくない仕事をしたい、その一心でした。当時わたしは最も若いスタッフの一人でした。高名な先生方に教えていただきながら、経験を重ねていきました。
後年は、『叢書』で刊行すべき書物の選定や、解題を誰に依頼するかを決める、編集委員としての仕事にも携わりました。巻号の構成や、まれに新出作品のタイトルを命名したり、最終校正の重責も負いました。
叢書の第一巻は藤原俊成自筆による歌論書『古来風躰抄』(平成四年・第一期配本)。第二巻『古今和歌集』第三巻『後撰和歌集』と続き、第百巻『百人一首』(平成二九年・第八期配本)で完結しました。収録された書目は国宝五点を含む重要文化財など六百五十点あまり。わたしが参加したのは途中からですが、それでも足かけ二十五年、世紀をまたぐ一大プロジェクトに関われたことは光栄でした。
古典を未来の読者へと受けわたす
——— このプロジェクトの経験によって得たものは何ですか。
新しく出現した古写本によって、これまで先達が知力を尽くしてうち立ててきた仮説の正しかったことが次々に証明される、そうした劇的な場に立ち会えたことは貴重な経験で、研究者冥利に尽きます。営々と築かれてきた研究史が誤りの少ないものだったことに、深い感銘を覚えました。
日本の文化のよい点は、修理や補修を重ねて長く使うことです。古典籍や古文書にもそうした美風が受け継がれています。たとえば、剥がれた料紙には、長い時間寝かせた有機糊を使うなど書物を一つの生命体として尊重しています。書物は古典作品を収める「器」です。剥がれたら、また後代の誰かに修繕してもらえるように、むしろ解体しやすいように繕う。有限なものを修理のバトンをつないで、できるかぎり無限に近づける。日本人のDNAを収める書物という生命体を、未来の読者へと受け渡すという思想です。
『冷泉家時雨亭叢書』の刊行開始から三十年を経て、編集委員だった先生方の中には鬼籍に入られた方も多くいらっしゃいます。第一級の資料を自在に参観できる環境が整備されたことを感謝し、そのうえで研究史を検証し、補うべきは補い、書き換えるべきは書き換える。第百巻刊行を踏まえ、謙虚に挑戦を続けることが、わたしたち後進に託された責務だと考えます。
『方丈記』に学ぶ教え
——— 先生は随筆の傑作『方丈記』にも顕著な業績があります。鴨長明が晩年に残したロングセラーに、いま学ぶべきは何でしょうか。
「行く川のながれは絶えずして……」という書き出しから「無常の文学」と思われがちですが『方丈記』の本質は災害ルポルタージュです。自分の足で災害の現場へと分け入り、自分の目で被災者の過酷な状況と向き合わなければ、絶対に書けません。関東大震災、阪神・淡路大震災、そして東日本大震災など、大きな災害のたびに『方丈記』が見直されます。日本列島は災害列島なのです。だから、『方丈記』は予言の書といってもよいでしょう。
いま、異常気象による自然災害にパンデミックが追い打ちをかけて、世界中の人々が暮らしやメンタルに多大なダメージを受けています。再起するうえで心の回復力は欠かせません。災害列島に生きる宿命、柔軟な対応力、日本人らしいレジリエンス、そして何よりも災害に備えることを『方丈記』は教えてくれているのです。