ウイルスは常に自然界に存在し、どんな生き物でも体内に何らかのウイルスを持っている場合がある。COVID-19がそうであるように、ウイルスは生物種を超えて感染し、変異を繰り返すことで病原性が高まる。ヒトと動物の両方に感染して引き起こされる病気を「人獣共通感染症」という。"ワンヘルス"をキーワードに、その仕組みの解明と感染対策に取り組むのが前田秋彦教授だ。
ウイルスは種を超えて感染する場合がある
——— 研究対象はどんなウイルスですか?
ウイルスにもいろいろあって、通常はヒトならヒト、鳥なら鳥といった特定の生物種内でしか感染しませんが、中には種を超えて感染するウイルスもあります。私は、ヒトと動物の両方に感染するウイルスが専門で、最近は蚊やダニなど節足動物が運ぶウイルスを研究しています。
——— いわゆる「人獣共通感染症」ですね。関心を持ったきっかけは?
実は私は獣医でもあるんです。ウイルスはヒトや動物へ感染しても必ずしも病気を起こすわけではないのですが、特定のウイルスが特定の生物へ感染した時にだけ病原性を示すものがあって、ではそれはどういうメカニズムなのか、そしてそれをどうやって抑えていけばよいかを知りたいと思って研究しています。
——— ウイルスは身近にあって、いつどこで感染症に罹るかわかりませんね。予測が難しい……。
京都産業大学のキャンパスは山が近いので、そこで学生と一緒に蚊やダニを採って、実際にどういうウイルスを持っているか調べています。それまでアフリカにしかいないと思われていたトゴトウイルスの新種を、大学周辺に棲息するマダニの中から発見したことがあります。2013年のことです。その新種ウイルスは病原性が低く、実験用のマウスへ感染させても病気を起こさず、ヒトとマウス両方の培養細胞へ添加しても増殖しませんでした。なのでこの新種は、日本の自然環境ではヒトとネズミとの間で行き来しても問題のないものだろうと考えました。
ところが、外来生物であるハムスターの培養細胞にこの新種ウイルスを感染させてみたところ、細胞をボロボロにさせるくらいまで増殖してしまいました。ウイルスが、感染する相手によって病原性を示したり示さなかったりすることがわかる好例ですね。
動物から微生物、マクロからミクロまで
——— 若いころから獣医になりたいと?
実は中高生の頃は教員志望でした。大学へ進学する時点では生物学にも数学にも興味があって迷っていました。北海道大学の入試は学部別ではなかったので、2年生の後半になって、動物を対象にした「マクロな」生物学をやりたいと思って獣医学部を選んだんですが、ちょうどその頃、新しく分子生物学という「ミクロな」生物学が広がり始めて、ウイルスにも興味を持つようになりました。ウイルスが感染して増殖する様子が数学的に理解できそうだという考えもありました。
大学を卒業して獣医資格を取った後も、マクロとミクロの両方の視点からウイルスについて研究したいと思い、大学院に進学しました。大学院を修了した時に、(実はその頃もまだ学校の先生になるつもりだったんですけど)アメリカのテキサス大学からお誘いを受けて、4年間滞在してウイルス研究を続けました。
——— 海外の環境はどうでしたか?
テキサス大学には、医学部でも理学部でもない「微生物学部」があって、熱帯病の研究が非常に盛んなところでした。ウイルスをやってる人、細菌をやってる人、いろんなバックグラウンドの研究者が一か所に集まって共同して研究に取り組む姿に驚きました。ウイルス感染症は動物だけ見ててもダメで、ヒトのことも、環境のことも考えないといけないということをそこで実感して、それが今の私の研究スタイルにつながっています。
帰国後しばらくは、国立感染症研究所でウイルス感染症の検査法の開発などに従事して、その後いくつか国内の大学での研究活動を経て、京都産業大学の現職に至りました。海外を含めいろんな場所でのチャンスをものにして今までやってきている、という感じです。
感染の仕組みを解明して感染症の予防へつなげたい
——— ウイルスの存在を確かめる具体的な方法を教えてください。
まず野生生物の体や排泄物などから試料を採取します。抽出液を実験動物や培養細胞へ感染させて、試料に含まれていそうなウイルスの候補を遺伝子の配列を手掛かりに探します。そうして選び出した候補のウイルスを分離して、再び感染実験をおこなって感染しているかどうかを確かめます。細胞の変化を観察したり、実験動物の免疫状態や病理(例えば肝炎の発症)を検査して、目的のウイルスであると決定するのです。
実は、最初は無害だと思った先ほどのトゴトウイルスの新種も、マウス間で感染を繰り返すと宿主を殺してしまうくらいになりました。これは、マウスで感染を繰り返すうちにマウスの中でこのウイルスが変異した可能性と、もともとダニが持っていた病原性ウイルスが代を経ることで増殖した可能性が考えられるので、今はどちらが本当なのかを突き止めようとしているところです。
ウイルスが感染するときは、まず生物の細胞表面へ吸着(結合)し、それから内部へ侵入して増殖し、細胞を破壊して外へ出ていきます。トゴトウイルスの新種も、細胞への吸着の有無を手掛かりにすることで見つけました。そこで、ウイルスが細胞に吸着するかどうかを調べる実験手法を編み出して、感染の最初の段階でウイルスの存在を検出できるシステムを作りました。現在はこれを用いて研究しています。
——— 研究の成果はどのようにして社会に届くのでしょうか?
日本でもマダニが運ぶウイルスによる感染症がじわじわと広がっています。2023年に茨城県の女性がダニに咬まれた後に亡くなるということがありました。私たちが京都で見つけた新種に似たウイルスに感染していたのですが、その病原性が従来のものより格段に強かった。
ウイルスがヒトや動物への感染を繰り返すうちに変異するのは、それが生存戦略だからです。COVID-19も、野生に潜むコロナウイルスが変異して、ヒトへ感染できる新型ウイルスが生まれたことでパンデミックになりました。トゴトウイルスもいつか変異して、ヒトを病気にしてしまうかもしれません。そうした時に備えて、私たちの行っている基礎的な研究の成果をもとにあらかじめ薬やワクチンを開発しておけば、感染の拡大を防ぐことができるようになるでしょう。
"ワンヘルス"という言葉があります。最近では"プラネタリー・ヘルス"(惑星の健康)という言い方もしますね。「ヒトと動物を取り巻く自然環境を一体として捉える」という考え方ですが、日本ではこうした考え方がなかなか定着せず、管轄する省庁がバラバラで、医者、獣医、研究者らも個別に取り組んでいる段階です。私は、ヒトの健康、動物の健康、それから環境の健康を総合的に見ていかないと何の対策にもならないと思っています。それぞれの研究成果が学問分野の壁を越えて互いに活かされるようになってほしいですね。