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花粉を作らない雄性不稔のメカニズム—核とミトコンドリアの不思議な共生—
総合生命科学部 生命資源環境学科 山岸 博 教授
核とミトコンドリアの不思議な共生
私たちの食は雑種の作物に支えられています。雑種の方がずっと元気に育つため収量が大きく違ってくるからです。植物で雑種を作るのに欠かせないのが花粉を作らない雄性不稔という性質。長らく謎とされていたそのメカニズムを山岸 博先生に詳しくお聞きしました。
私たちの食を支える雑種
雑種は元気に育つ、という経験則をみなさんも聞いたことがあるかもしれません。このことは植物での例を見ると一目瞭然です。植物で雑種にあたるのは交配種(F1)で、他家受粉によって生まれる株のことを指します。
たとえば、1950年代、同じ面積あたりのイネの収量を比較すると、日本は中国の2倍ありました。ところが、2000年代の収量を比較するとほぼ同じになっています。
面積あたりの収量ですから、日本の減反政 策は関係ありません。何が中国での収量を大 幅に増やしたのでしょうか?
実は、中国で交配種のイネが使われ出したからなのです。イネの花は、同じ花の中にオシベとメシベがあり、自家受粉しやすい植物です。そのため、そのままでは、交配種が生まれにくい状態にあります。
そこで、花粉を作らないイネを作り、その傍に受粉させるための花粉を作るイネを植えて、他家受粉させるのです。
交配種では収量が増えることが多くの作物で分かっています。イネだけでなくトウモロコシやトマト、タマネギ、キャベツ、ダイコンなど、みなさんの食卓に上がる野菜の多くは交配雑種なのです。
かつてはわざわざオシベを人の手で除去し、自家受粉しないようにする方法もありました。昔のトウモロコシ品種などがそうで、多くの人を雇って、オシベを取っていたのです。
しかし、人の手で取る方法は、コストもかかりますし、作業をする時期が限られるため、ちょっとでも遅れると自家受粉するリスクもあります。そこで、花粉を作らない性質(雄性不稔)を持った植物が作れないかと研究がなされてきました。
雄性不稔の発見とメカニズム
雄性不稔を持った植物が発見されたのは、偶然の結果でした。栽培植物の品種改良を色々と試しているうちに、野生植物との掛け合わせから雄性不稔となる子どもが生まれたのです。
最初に見つけられたのはタマネギで、1925 年のことです。その後、日本でもイネやダイコンで雄性不稔が見つけられるなど、さまざまな栽培植物で発見されています。
ところで、雄性不稔、つまり花粉を作らないという、子孫を残すためには不利な性質が、なぜ絶滅することなく、受けつがれてきたのでしょうか?
その謎は、近年になって、核やミトコンドリアの遺伝子の解明が進むことで、明らかになってきました。
花粉を作らない性質は、ミトコンドリアの遺伝子の一つが働いて表れます。ところが、そんな性質は植物にとって不都合ですから、細胞核の遺伝子が不都合なミトコンドリア遺伝子の働きを抑える性質を持つようになります。
つまり、植物にはミトコンドリアに花粉を作らせない遺伝子を持つものと持たないもの、核にその働きを抑える遺伝子を持つものと持たないものがあるわけです。このうち、野生植物では、ミトコンドリアが雄性不稔の性質を持ち核がそれを抑える組み合わせが進化し、栽培植物ではミトコンドリアに雄性不稔の性質がなく核に抑える遺伝子がない組み合わせが発達してきました。
そして、人間による野生種と栽培種の掛け合わせによって、ミトコンドリアは雄性不稔の性質を持つのに、核にはそれを抑える遺伝子がないという組み合わせが生まれたわけです。これが雄性不稔の生まれた仕組みです(右図)。
ミトコンドリアは呼吸やATPの合成に関連する細胞内小器官(オルガネラ)ですが、雄性不稔の遺伝子は呼吸やATP合成の遺伝子のすぐ近くにあることが多く、それらを阻害する働きを持っています。植物が成長する段階では、この遺伝子の影響は出ませんが、いざ花粉を作る段階となったときに、邪魔をするのです。花粉を作るには莫大なエネルギーが必要なので、呼吸やATPの合成の働きが抑えられると、うまく花粉を作ることができなくなるわけです。
ミトコンドリアが語る栽培ダイコンの起源
雄性不稔の研究から、日本の栽培ダイコンの起源についておもしろいことが分かりました。
日本の栽培ダイコンの多くには雄性不稔の性質がありません。ミトコンドリアが雄性不稔を起こす遺伝子を持っていないのです。これらは地中海周辺のダイコンを先祖に持ち、ユーラシア大陸を東に渡って、中国を経由して日本にもたらされた種類です。そのため、日本人はダイコンの栽培種を外国から取り入れたのだと長らく考えられてきました。
ところが、日本の栽培ダイコンの中でも舞鶴地方など、いくつかの地方の特産ダイコンは、ミトコンドリアに雄性不稔を起こす遺伝子を持っていました。その由来を探すと日本の海岸部に自生する野生のハマダイコンであることが分かりました。
このことから、日本人も野生のハマダイコンから栽培ダイコンを作りだしていたことが明らかになりました。このような私たちの研究から、現在では、栽培ダイコンは世界の一箇所から広まったのではなく、世界のあちこちで野生のダイコンから栽培ダイコンが生まれたのではないかと考えられています。
ダイコンの雄性不稔を発見したのは、日本の研究者です。ところが日本人がその性質に注目せず、利用しないでいたところ、フランス人の研究者がヨーロッパで品種改良に使おうとしました。
最初は同じアブラナ科のナタネと掛け合わせて雄性不稔のナタネを作ろうとしました。ところが、核の遺伝子はナタネ、母系でしか伝わらないミトコンドリアと葉緑体の遺伝子がダイコンであることから、気温が低下すると葉緑体がうまく発達せず、花粉はできないけれども緑に育たないものしかできませんでした。
それでも、彼らは諦めずに、この葉緑体が発達しないナタネを普通のナタネと細胞融合し、葉緑体もナタネの遺伝子を受け継ぎ、元気に育つ雄性不稔株を作りだしました。この雄性不稔は特許を取得、今では日本のキャベツにもブロッコリーにも使われています。
世界の食糧生産を増やす
先ほどの中国の例のように、私たち人類は、20世紀後半に、雄性不稔を利用した交配種などによって収量を飛躍的に増大させることができました。
ところが、それ以来、収量を飛躍的に増大させる品種改良の技術が現れず、ここ10年の世界人口の増加と比べると収量は停滞したままになっています。
もう一度、飛躍的に収量を増大させなければ、いずれ深刻な食糧問題に直面するかもしれません。
この問題の解決のためには、交配種はなぜ元気になるかというメカニズムの解明と、まだ交配種が作られていないマメ科などの植物の交配種化といった技術面での研究開発、そして、遺伝子組み換え技術とどのように向き合っていくかといった文化面・倫理面での議論が欠かせないでしょう。
これらの解決のための基盤として、雄性不稔についての研究は今後ますます重要性を増していくと考えられます。
ミトコンドリアとの共生の長い歴史
ミトコンドリアが真核細胞と共生するようになったのは遥か10億年以上も前の出来事です。それ以来、もともと別の生き物だった、真核細胞とミトコンドリアは、真核細胞が核に大量の情報を持ち、ミトコンドリアが呼吸やエネルギー生産をするという役割分担をずっとうまく続けてきました。
雄性不稔という性質は、核とミトコンドリアとが相争っているようにも見えますが、植物の長い進化の歴史の中では花粉を作るようになったのは比較的新しい進化であり、雄性不稔はつい最近の出来事だと言えるでしょう。
このことは、そもそも植物にとって花粉とはどういう意味があるのか、といった生命の在り方そのものに対する根本的な問題を考えさせてくれます。
アドバイス
目の前で生きて育っている生き物に興味を持って
私たちの学科の学生は、大学生になって初めて植物の本格的な栽培に関わることが多いようですが、彼らはその体験をとても喜びます。
高校生のみなさんには、今のうちから、身近な生き物を見て、触って、いま目の前で生きて育っている生物への興味を育んでもらいたいですね。身の回りの生物に興味を持って、疑問を感じる視点が、後々の研究生活に大きなプラスとなってかえってきます。
総合生命科学部 生命資源環境学科 山岸 博 教授
- プロフィール
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農学博士。専門は植物育種学、植物バイオテクノロジー。自然豊かな伊那の地で育ち、田植えの時期に用水路や川を上ってくる魚を取るのが遊びという少年時代を過ごす。副学長、植物ゲノム科学研究センター兼務と多忙を極めるが、雄性不稔ダイコンの遺伝的起源を自身の手で解き明かす夢を持ち続ける。2008年3月、日本育種学会賞受賞。長野県立伊那北高等学校OB。