生命のエネルギーの作り方、使い方—分子機械の仕組みに迫る—

総合生命科学部 生命システム学科 横山 謙 教授

分子機械の仕組みに迫る

 私たちは一日に2000キロカロリーほどのエネルギーを食事から摂取しています。食べ物から取り入れたエネルギーは、体内で形を変えて、生命活動を維持します。細胞内でのエネルギー通貨といわれるのが、私たちの身体で、毎日約60sも作られ、消費されるといわれるATP(アデノシン三リン酸)です。食物のエネルギーは、ATPを合成するために消費されて、一旦ATPに蓄えられます。ATPは筋肉の収縮から脳の神経細胞の活動、タンパク質の合成といった体内でエネルギーを必要とする現象すべてで必要です。“エネルギー”をキーワードに、エネルギー代謝の鍵となるATPを作り出すATP合成酵素の研究を主にされている横山謙先生にお話しいただきました。

一本の回転棒で連結された2つの回転モーター

  「生命のエネルギー通貨」ともいわれるATPは、生体内でエネルギーを利用したり保存したりする際に必ず使われる小さな分子です。私たち人間だけでなく、動物、植物、バクテリアに至るまで、すべての生物がATPをADP(アデノシン二リン酸)とリン酸に加水分解して生まれるエネルギーを使って活動しています。ATPそのものの性質や役割は分かっているのですが、ATPを作り出すATP 合成酵素がエネルギーをどのようにして作り出し、使っているのかは全機構において未解明の部分が残されています。そのため、多くの研究者がATP 合成酵素について研究しています。

 ATP合成酵素は、回転する不思議な複合タンパク質です。私たち人間はF型合成酵素を持っていますが、V型の合成酵素を持つ生物も存在します。このV型の回転モーターは、ATPの合成または分解で回転する V1モーターと、水素イオンが通過することによって回転する V0モーターからなります。2つのモーターは一本の回転棒で繋がっています。これまでの研究で、(1)V0が水素イオンの濃度差によって回転し、その回転力が回転棒を通してV1に伝わると、V1でADPとリン酸からATPが合成されること、(2)V1でATPを加水分解すると回転棒が逆方向に回転し、V0 部分で水素イオンが輸送されることが分かっています。

回転力はV型ATP合成酵素内でどのように伝わるのか

図1
図2

 複雑な分子構造を持ち、これまで解析が難しかったV型ATP合成酵素ですが、X線や電子線による結晶構造解析で、V型のATP合成酵素の立体構造もかなり明らかになってきました。V1部分やF型ATP合成酵素のF1部分での回転する仕組みや、回転によってATPが合成される過程については世界中で研究されています。車に例えると、力を生み出すエンジン部分についてばかり研究しているわけです。私たちは、エンジンで生み出された回転力がどうやってタイヤに伝わるのか、つまり“ V1で作られた回転力がV型ATP合成酵素内をどのように伝わっていくのか”に焦点を当てて研究を進めることにしました。

 V型ATP合成酵素の回転の様子も一分子計測によって、解明が進んでいます。V1部分は1周(360度)を3回に分けて120度ずつ回転します※1。一方、V0部分は1周を12回で、つまり30度ずつ回転することが分かっています。つまり、上下のギヤ比が異なっているモーターが一本の回転棒で繋がっているのです。もし回転棒が硬ければ、V1で120度回転するときに、V0も120度回転するはずです。しかし、回転を注意深く観察すると、V0部分が30度ずつ回転していることが分かりました。この結果については、いくつかの解釈が考えられますが、私は、回転棒が“ねじれ”ていると考えています。“ねじれ”によって弾性力※2が蓄えられて、蓄えられたエネルギーがV0部分を30度ずつ回転させているわけです。ゼンマイをねじると弾性力がゼンマイに溜まって、手を離すと弾性力が開放されてタイヤが回るゼンマイ仕掛けの車と同じです。つまりV型ATP合成酵素では「ねじれによるエネルギー伝達機構」が起こっているのではないかと考えているのです。

 もう一つ、回転棒は回転を伝えるのにも関わらず、その回転棒が簡単に分離するという不思議な構造に疑問がありました。最近の研究で、回転棒の中にマイナスドライバーとねじのような構造があることが分かりました(図2)。回すことはできるが、簡単に離れるわけです。こんな構造がタンパク質の中にあるなんて、長年タンパク質科学をやっている私でもびっくりしました。今は仮説ですが、ドライバーにあたる部分のタンパク質の形を変化させて、それでも回転が伝わるのかどうかといったことを確かめようと思っています。

 タンパク質は、思ったよりも私たちの作り出した機械に近い仕組みを持っているようです。これらの予想を丁寧に調べていき、回転分子モーターのみならず、タンパク質の働きを考える新しい概念を提供したいと思っています。

※1 ATPが一つ分解すると120度回転するので、360度回転すると3ATP分解される。

※2 力が加えられることで、変形している物体が反作用として他に及ぼす力。

分子レベルから個体レベルまで

 総合生命科学部は、分子レベルから個体レベルまで総合的に生命を扱う学部です。私自身も、“エネルギー”をキーワードにして、上述の分子レベルの研究だけでなく、個体レベルの研究も積極的に行っていきたいと考えています。

 エネルギー代謝が狂うと身体にいろいろな問題が出てきます。今後、エネルギー代謝の中心的役割を果たすATPの個体レベルでの研究発展は医学的にも大いに期待されると考えています。がん細胞ではATP合成酵素があまり働きませんし、脳で使われるエネルギーが少なくなるとうつ病になることも分かっています。多くの生物種では、摂取カロリーを制限することで寿命がのびることも確認されています。寿命や老化とエネルギー代謝は、密接に関係していると考えられるのです。

 私が興味を持っているのは、個体老化とATPの関係についての研究です。研究には線虫を使っています。個体ごとのATP 量と加齢との関係を調べたところ、初めは上昇していたATP濃度が加齢に伴って減少していました。最近になって、常に作られ、常に消費されているATPが、実はさまざまな生体現象でその量を変化させていることが明らかになってきています。この背景には、共同研究者である今村博臣先生らが2009 年に開発した、ATPの濃度の違いによって光の強度を変えて蛍光を発するATPセンサータンパク質「ATeam」の功績があります。ATeamによって、理論的に無理だと考えられてきた細胞内のATP 量の変化を、リアルタイムで調べることが可能になったのです。

 現時点で、私たちはATeamの遺伝子を線虫に注入して、ATeamが線虫の細胞内でうまく働いていることを確認しています※3。これは、個体レベルのATPイメージングとしては初めての成功例で、今後さらなる発展が期待されます。

 ATP合成酵素の研究は、すでに半世紀の歴史を持ち、かなりのことが分かりました。働く仕組みが最も解明された(されつつある)タンパク質だと言えますが、すべてが分かったわけではありません。私は、力の伝わり方や、タンパク質間の結合の仕方という人がやっていない切り口から、新たな発見ができないかと考えています。同時に、個体レベルでのエネルギーの使い方の研究を進め、将来的に医療などに繋がる成果が出せればと考えています。

※3 ATeamを遺伝子に注入した個体にATP合成を阻害する酵素を入れた後、ATPの濃度を薄めて、ATeamがそれをセンサーしているかどうかを確認した。

ATPには2つの型がある――V 型ATPを研究するワケ

 私が大学生の頃は、ATP合成酵素の結晶構造がまだ分かっていませんでした。結晶構造を解くためには、一般的に不安定なタンパク質の中でも、なるべく安定的でたくさん取れる良い材料を見つけなければいけません。そこで、熱耐性があって安定的な好熱菌から、それまで知られていたF型のATP合成酵素を取ることにしました。苦労の末、うまく取れたのですが、タンパク質を分類してみると、分子量のパターンがF型とは違うのです。「これはF型とは違うタイプだ!」と直感しました。当時はF 型と違うタイプのATPについてよく分かっていなかったのですが、その後、植物で見つかっていた液胞型ATP分解酵素( VacuolarATPase)の仲間だということが分かりました。液胞型の英訳から、V型と呼ばれています。数年後、F型のF1にあるモーター部分の構造が解明されて、ジョン・ウォーカーらがノーベル化学賞を受賞しましたが、実はF型でも全体構造は明らかになっていません。私は、F 型よりも材料的に有利なV型で、回転分子モーターの全構造を解明したいと思っています。

アドバイス

頑張って得られたものはいつか必ず役立つ

 私は天文学にも興味があったのですが、物理がそれほど得意ではなかったのもあって、生物学の道へ進みました。しかし今は、生体内の回転分子モーターを扱う「生物物理」の分野を研究していますから、物理の知識も使っています。こうした経験から、みなさんには、苦手なことでも、最低限頑張っておくことを勧めたい。将来、どんな知識が必要になるかは分かりません。高校生のうちに幅広く基礎を身につけておけば、やりたいことをやるときに、きっと役立つと思います。

総合生命科学部 生命システム学科 横山 謙 教授

プロフィール

理学博士。研究テーマは、生体エネルギー変換と老化・寿命に関する研究。小学生の頃から、小さな生物がどのように動いているのかに興味があって、水たまりのプランクトンなどを顕微鏡でよく観察していた。一方で、ガリレオやコペルニクスなどの伝記を読んで、宇宙への憧れもあったという。愛知県立春日井西高等学校OB。

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