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「触れる」プログラムの実現に向けて—スパイダーが切り拓く可能性—
コンピュータ理工学部 コンピュータサイエンス学科 青木 淳 教授
スパイダーが切り拓く可能性
私たちが暮らす情報社会では、あらゆるものが数に置き換えられます。食品の鮮度も賞味期限という数値に還元され、お金も銀行のコンピュータの中の数値になります。このことは逆に考えると、数値から世界が再現できるという事実にたどり着きます。数値で五感への情報を作り出す技術は、モニターでものを「見る」、スピーカーで音楽を「聴く」ことを可能にしてくれました。それでは、コンピュータの中のものを「触る」ことはどうでしょうか。実は、「触る」技術も身近に広まる一歩手前まできているのです。今回は、この可触化を実現したインターフェース「スパイダー」について、プログラマでもある青木淳先生に詳しくお話していただきました。
コンピュータの発展の歴史
私が研究しているのは、「可触化」という技術です。これはコンピュータの中で「ものに触る」感覚を再現しようという試みです。
実用化されたばかりの頃のコンピュータには、タイプライターのようなキーボードしかついていませんでした。そこから、最初に発展したのは視覚技術です。モニターがつくことで「見る」ことが可能になりました。次の段階では音を作るシンセサイザー、スピーカーを組み込んで、音を「聴く」こともできるようになりました。しかし、触覚については、長い間なおざりにされてきました。つい最近、iPadのようなタッチパネル系の「触る」インターフェースが登場しましたが、それまではマウスとキーボードだけに留まっていました。
そもそも、触覚というのは生物進化の歴史でも最初に発達した部分です。生物では続いて聴覚、最後に視覚と発達したことから、コンピュータは生物と逆の歴史をたどっていることになります。
可触化の技術が今まで出てこなかったのは、その再現の困難さに一因があります。人間の目は、0.1秒程度の差しか感知できません。それより短い時間で連続表示すると動いていると錯覚します。アニメーションの原理ですね。耳はもう少し正確で、0.01秒程度の音の差まで感知できます。テンポが少しずれるだけですぐに違和感を覚えるのは、この正確さによるものです。ところがこれらの感覚に比べて、触覚は0.001秒程度の差さえ感知できると言われています。実際、私たちがものの表面を平らかどうか確かめるとき、目で見ても音を聴いても分からなければ、手で触って確認します。それだけ触覚は正確なものなのです。
ですから、もし触覚を騙そうとするならば、1秒間に2千回ほどモータを動かして微調整し続けないと、すぐに違和感が伝わってしまいます。それほどコンピュータにかける負担が大きいのです。可触化の技術は、コンピュータ技術が発展してきたことで、初めて実現可能になったといえるでしょう。
スパイダー(SPIDAR: Space Interface Device for Artifi cial Reality)
皆さんが普段使っているマウスは平面上を動くだけですが、私たちが研究しているのは立体的に三次元空間を動かせるインターフェースです。私たちはこれをスパイダーと名づけています。スパイダーは8 本の糸で釣られた球状のインターフェースで、マウスに相当するボールを上下左右に自在に動かすことができ、ひねることもできます。コンピュータのモニターにはスパイダーのボールに相当するものが表示されていて、手元のボールを動かせば、モニターの中のボールも動きます。モニターの中のボールが壁にぶつかれば、手元のボールもそれ以上先には全く動きません。壁沿いにボールを擦りつければ、手元では摩擦を感じます。
私たちは、スパイダーを仮想の「手」のように使う研究にも取り組んでいます。左上写真のように、画面上にブロックを表示し、画面の中のボールを接触させると、手でつかんだように持ち上げることができます。このとき手元にはブロックの分だけ重みが感じられるのです。ブロックを別のブロックにぶつければもちろん抵抗を感じますし、様々な方向に回転させて、本物の積み木のように遊ぶこともできます。コンピュータ内の設定を変更すれば、壁やブロックの弾力や摩擦力も自由に変えることができます。
スパイダーは体験した人の多くが驚きの声をあげるほど精巧にできています。しかし、音楽や映像と違い、一度に大勢で共有することが難しく、一人一人が実際に体験することでしか伝えることができないのです。
今後の可能性
スパイダーはコンピュータの中にしかない物体に触れることを可能にします。応用範囲は様々ですが、最新技術はまずゲームに反映されることが少なくありません。近年では、Wiiなどが良い例です。3Dセンサーをリモコンに搭載し、リモコンを握った手を動かすとその動きを読み取ることができます。この技術を利用してスポーツなどをゲームで再現していますが、この技術にはまだリアルな手応えがありません。これはゲームセンターに置かれているシューティングゲームなどでも同じで、銃を撃っても反動がないのでリアリティを感じないのです。これまでは、そういった手応えや反動といったものを単純な振動などで代用していましたが、スパイダーに用いられている可触化の技術を利用すれば現実と変わらない感覚を再現することができます。
遊びだけではなく、教育への利用も考えられています。たとえば、通常私たちが実感することができない万有引力や分子間力といった物理の力を、シミュレーションによって実際に触って体験することが考えられるなど、説明だけでは伝わりにくい分野への応用に大きな可能性がありそうです。
スパイダーは「触る」だけでなく「重み」を感じられるのも大きな特徴です。これに着目すれば「情報の重み」を「現実の重み」に対応させることもできるので、クレジットカード情報を送信するときにクリックが重くなるなどの仕組みを作ることもできます。また、スパイダーをダンベルのように用いれば、自由に重さや抵抗を変えることができますので、医療の現場で個々人に合わせたリハビリにも有用でしょう。
さらに、複数のスパイダーをネットワークでつなげば、遠く離れた人同士が握手をすることもできます。違う場所にいながら、同じものを触る感覚を共有することができるのです。
可触化を実現するインターフェースには様々なものが考えられていますが、スパイダーの利点はそのまま巨大化することが容易であるということです。糸を頑丈なワイヤーにして、部屋一杯に張り、中央にぬいぐるみを吊るせば、等身大のぬいぐるみをインターフェースにすることだってできるのです。
スパイダーは、他の可聴化や可視化の技術と組み合わさることで、さらなる可能性を生み出します。たとえば、インターフェースが三次元空間を自由に動けても、モニターが二次元ではうまく奥行きなどが伝わらないことがあります。これが3D技術と結びつけば、さらなるリアリティが生まれるでしょう。また、空間上の様々なポイントに音を割り当てて、スパイダーを動かすことで音楽を演奏することもできます。テルミンのような、従来とは異なる新しい楽器へと発展するかもしれません。
最終的な目標は、視覚・聴覚・触覚の完全な融合です。その実現を探りながら、五感に訴えるものと現代世界との関係を考えていきたいと思っています。
3D技術の今後
ゲームや映画などで、3D映像がブームになっています。これらは両眼視差を利用した立体視で3Dを実現していますが、「立体」を作る要素は両眼視差だけではありません。
例えば、航空機のパイロットは何キロも先を見ていますが、これだけ遠くのものになると視差はほとんど生じません。それにもかかわらず立体を認識しているということは、視差はあくまでも一部の要素にすぎないということです。実際上空においては、肌理(きめ)の流れを感知する動体視力を始め、様々な要素が重要になってきます。
立体を表現する一番有名な要素は、陰影です。ゲームの画面などで後ろを暗くぼかしていると奥行きを感じることがあります。暗さや影が立体感を表現するために役立つことは、昔から画家が実践してきました。逆説的ですが、明るく全てが見えていると立体感は生まれないのです。
プログラム博物館
私が長年抱いている夢は、プログラムの博物館を作ることです。コンピュータの歴史を見せるようなハードウェアの博物館はありますが、ソフトウェアの博物館はまだありません。私にとってプログラムは見るだけのものではなく、ありありと感じられるものなのです。この感覚をより多くの人に伝えたいと考えています。
プログラムは一見ただの記号列であり、一般の人にとっては、博物館に展示するような、ありありと感じられるものとして受け取られていません。だからこそ、プログラムを「見える」「聴ける」「触れる」ようにして、それを体験できるような博物館を作りたい。「可触化」は「触れられるようにする」という意味ですが、その目的語は、まさにプログラムなのです。
アドバイス
専門分野を選ぶに際して、メジャーな研究対象ばかりを追ってはいけません。競争相手が多くなりますし、若い時にメジャーなものは、将来時代遅れになっているものです。是非「Minorityis the Best」のポリシーで挑んでください。
そして、大人に馬鹿にされてもいいので、子供らしさを持ち続けてください。「こんなものがあったらいいな」という思いは、捨てないで大切にしていってほしい。その上で、本当に自分がやりたいことを実現するためにサイエンスがどう役立っていくのかを考えながら、勉強してください。
単に暗記やテクニックに頼るような受験勉強では本物の学力は身につきません。今の受験は「これだけやればいい」という発想が多いようですが、大事なのは「これ以外にどのような方法があるだろう」という考えを抱くこと。それを自分で探していくことが、将来の科学と工学の基礎になるはずです。
コンピュータ理工学部 コンピュータサイエンス学科 青木 淳 教授
- プロフィール
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修士(理学:物理化学)。専攻はソフトウェアの可視化・可聴化・可触化。高校時代は受験勉強の在り方に疑問を感じたが、大学での学びの自由さから一転勉学に励む。結果、補欠で入学した大学を首席で卒業。学部・大学院と物理化学を学ぶが、就職の際、あえてコンピュータの世界に飛び込む。学部生が4年間かけて学ぶ内容を半年で習得し、株式会社SRA米国コロラド州ボゥルダー研究所を経て、京都産業大学へ。「Minority is the Best」がポリシー。新潟県立高田高等学校OB。