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素粒子実験のアイデアで医療機器の常識を変える
—低価格でかつ高解像度のPETを開発—
コンピュータ理工学部 コンピュータサイエンス学科 竹内 富士雄教授
低価格でかつ高解像度のPETを開発
最先端の医療機器であり、脳科学の実験に欠かせない実験装置でもあるPET。生きたままの身体の内部をリアルタイムに検査できるという優れた特徴があります。しかしながら、CTやMRIといった同種の検査機器と比べると普及が遅れています。その最大の原因は価格の高さ。しかも解像度を上げようとすればするほど高価になってしまい、より高い解像度が求められている次世代PETの開発へのハードルとなっています。原子核物理学実験の検出器から発想して、低価格化と高解像度化の両立を実現した竹内富士雄先生にPET装置の仕組みから次世代PET技術の要点まで詳しくお話しいただきました。
PET 装置は原子核物理学実験そのもの
現在、最先端の医療や脳科学の実験において、PET(陽電子放射断層X線写真法:positron emission tomography)による生体内部の検査は欠かせないものとなっています。それは、PETがCTやMRIといった他の生体内部を検査する方法とは一線を画する特徴を持っているためです。CTやMRIが生体内部の「状態」を映し出す検査方法なのに対して、PETは体内のどの部分が糖を活発に消費しているのか、といった体内の「機能」を映し出すからです。
PETが先端医療や脳科学実験で用いられる主な理由として、糖を大量に消費するガン細胞を発見しやすいこと、生きた脳細胞の活性部分をリアルタイムに検出できることが挙げられます。そのため、先端医療や脳科学研究に欠かせないものなのです。
PETの検査方法に使われる技術は原子核物理学の実験そのものであり、物理学の研究や教育と非常に相性がよいものでもあります。
私の本来の研究テーマは高エネルギーの核物理学実験ですが、実際に実験装置があるスイス・ジュネーブには、年に2ヶ月間ほどしか行くことができませんので、日本にいる間にできる研究として、核物理学技術の医学への転用を考え、PET装置の開発に着手したのです。
PET はどのように生体内部を検査しているのか
それでは、具体的にPETがどのようにして生体内部の機能を検査しているのか見ていきましょう。
PETによる検査を行うため、陽電子を放出する物質を体内に注射などで注入します。このとき、陽電子を放出する物質は糖などにくっ付けておきます。糖はガン細胞や脳細胞の活性化している部分などで大量に消費されるため、糖が消費された部分で陽電子が放出されます。陽電子はすぐさま近くの電子と対消滅を起こし、2本のγ線を発します。2本のγ線はそれぞれ正反対の方向に飛んでいきます。このγ線源を特定できれば、体内のどの部分で糖が消費されたかが分かるのです。
ところがγ線は目で見ることができません。そこでγ線を検出するために、シンチレータ結晶と呼ばれる物質を用います。この結晶はγ線が当たることで微弱ながら可視領域の光を発します。人体から発せられるγ線では、結晶は2通りの光り方をします。
1つは、γ線が当たることで結晶中の電子が光電効果(光電吸収とも言う)を起こし、深く束縛されていた電子が放出されます。このとき、放出された電子が結晶中を移動することで周りの電子がはじき飛ばされ、そのエネルギーの一部が光として放出されます。シンチレータ結晶はγ線を可視光線に変換するだけでなく、1個の光子(γ線)を多数の光子(可視光)に増幅させる役割も担っています。
もう1つは、結晶中のほぼ自由な電子によっ てγ線がコンプトン散乱(コンプトン効果とも言う)を起こし、はね飛ばされた電子が結晶中を移動することで、結晶が光るというものです。
検査に用いたいのはおもに光電効果による光です。コンプトン散乱では電子に当たったγ線が散乱されて散乱の起った点から不規則に離れた結晶を光らせてしまい、γ線の入射位置を正しく見分けるのに邪魔になるからです。光電効果は結晶の原子番号の5乗に比例する一方でコンプトン散乱は結晶の原子番号に比例して起こります。このことから原子番号が大きいほど光電効果の比率が高く、シンチレータ結晶にはなるべく原子番号が大きい材質が使われています。
どのような材質を使ってシンチレータ結晶を作るのか、ということも世界中で激しい競争が繰り広げられている分野です。理想的なシンチレータ結晶は、実効原子番号が大きく、密度が高く、透明であり、へき開(特定方向への割れ易さ)がなく、潮解性(湿気を吸って解ける性質)がなく、コストが低いなどのすべての条件を満たしたものです。日本では日立化成工業が開発したGSOなどが有名ですが、世界では東欧圏、中国といった国々が開発競争をリードしています。
安価でかつ解像度を上げるアイデアはCERNの実験室にあった
私たちが外の世界を知覚するとき、その役割を担っているのは脳以外にはありません。網膜ではないのです。網膜は光センサーですから、入ってきたデータを視神経を通じて脳に伝えるだけなのです。実は目の見えない人にも視覚皮質はあります。目からは情報は入ってきませんが、イメージング技術(脳の活動を外から計測・画像化する方法)を用いて調べてみると、点字を読んでいるときに視覚皮質が活動し、「見る」行為をしています。物が見えているのは学習の結果です。ですから網膜に問題があって目の見えない人でも光センサーによって脳に直接にデータが入力されるようにすれば、外の世界と中をつなぐように脳が変化し、目の見える人とは違う回路かもしれませんが、結果としては同様な視覚体験ができるだろうと考えられています。
物理と知覚のズレを計算
生きたまま体内の機能を映し出せるPETですが、医療現場への普及はCTやMRIと比べて遅れています。最大の理由は価格の高さで、1台数億円もします。そのため、PET装置の普及には検査性能を低下させずに低価格化を実現することが不可欠です。PETが高価になる最も大きな原因は組み込まれている多数の光電子増倍管です。そのため、光電子増倍管の数をいかにして減らすかが、低価格PET実現への鍵でした。
問題を解決するアイデアは欧州CERNの実験室にありました。※1そのアイデアというのは、いくつかのシンチレータ結晶を1本のWLS(Wave Length Sifter※2)にまとめてつなぐことです。従来のPET装置では、1つのシンチレータ結晶に対して1つの光電子増倍管が組み合わされており、結晶の数を増やして解像度を上げようとするととてつもなく高価になっていました。しかし、結晶をまとめてWLSにつなげれば光電子増倍管の数は結晶の数の平方根の2倍まで減らすことができます。よって結晶の数を増やしても、それほど光電子増倍管の数が増えないため、小さな結晶をたくさん使うことができ、解像度を上げることができるのです。
※1 下記 CERNでの実験を参照。
※2 シンチレータ結晶が発するわずかな光を伝えるため、結晶にWLSという特別な光ファイバーをつなぐ。WLSの先は光電子増倍管に接続され、微弱な光の量をデータとして取り込めるように、電気信号に変換、増幅している。さらにアンプによっても増幅させる。
次世代PET の水準を実用化へ
私たちが実証実験用に作ったプロトタイプでは、1mm×1mm×20mmのシンチレータ結晶を256個並べた物で、それを2個使っています。それにより、1mm(半値幅)の位置の差を見分けることができます。ちなみに従来のPETでは3mm 〜 5mm(半値幅)です。そのために必要な光電子増倍管はの32個で、実際には16チャンネルの光電子増倍管を1個につき2つ使っています。
私たちのプロトタイプは今のところ小さな物で、検出効率こそ医療現場が求める水準に達していないのですが、位置分解能についても時間分解能についても、放射線医学総合研究所が開発目標とする「次世代PET」の水準をクリアしています。しかも低価格化も実現することができます。
今後、結晶の数を増やし、エレクトロニクス面での改良を加え、検出効率を高めていき、実用的なものを考えていくつもりです。できれば2010年度中には実証のためのプロトタイプを実現したいと考えています。
CERNでの実験
私が現在CERNで行っている実験は、「DIRAC実験」と呼ばれています。これは、量子色力学検証のため、風変わりな原子のとても儚い寿命を測る実験です。陽子や中性子を構成する3つのクォークは「強い相互作用」によって結びついていますが、これらのクォークの性質を、3つが合わさった状態を白色として、光の三原色に例えて説明する理論が量子色力学です。寿命を測る対象となるのは、π+中間子とπ-中間子や、K中間子とπ中間子から成る二中間子原子です。 π中間子やK中間子は、2つのクォークから成り、非常に短い寿命を持っています。これらを調べることでクォークと「強い相互作用」の今まで調べることのできなかったエネルギー領域での振る舞いを確かめているのです。
この実験における一番主要な検出器として、シンチレーティングファイバーにクリアファイバーライトガイドをつなぎ、位置検出型の光電子増倍管で読み出す仕組みを考案しました。この検出器の仕組みを応用することで次世代PETのアイデアが生まれたのです。
研究室の大学院生が活躍
次世代PET装置の実証実験では大学院生が活躍しました。竹内富士雄研究室の青垣総一郎さんは、この研究で博士号を取得し、今春から京都産業大学の特約講師に就任しました。青垣さんは、学部ではコンピュータが専門でしたが、大学院で竹内先生の研究室に入りました。竹内先生によると「今後はCERNでの実験にも参加してもらう」とのことで、ますますの活躍が期待されます。
コンピュータ理工学部 コンピュータサイエンス学科 竹内 富士雄教授
- プロフィール
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理学博士。専門は原子核物理学。東京大学大学院生の時にフランス政府給費留学生としてオルセー・ジョリオキュリー研究所へ。1974年にドイツ科学技術省の出向でCERN(ヨーロッパ合同素粒子原子核研究機構)に。国際共同研究の中で重要な検出器の開発研究者として活躍。1977年より京都産業大学教授。コンピュータ理工学部開設に伴い現職。もともと物理が他の教科より飛び抜けて好きだったこともあったが、そのシンプルな美しさに惹かれて原子核の分野へ。とにかく面白いと感じた分野なので、食べる手段についてはあまり考えなかったという。趣味はクラシック音楽。東京教育大学附属高校OB。