超高真空が見せる物質表面の不思議な世界
—中身と表面で異なる物質の性質を解き明かす—

理学部 物理科学科 押山 孝 教授

中身と表面で異なる物質の性質を解き明かす

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 私たちの身の周りには、様々な物質が存在します。通常それらの性質を決めるのは、物質の内部にある原子です。しかしながら、物質が極端に薄くなると、その常識は通用しません。そこでは、物質の”表面の性質”が大きな鍵を握ります。この領域を切り開くのが、表面物理学という学問です。大がかりな実験を通して見えてきた、表面という物質の新たな側面。その発展の歴史から実験方法まで、幅広く押山孝先生にお話しいただきました。

ダウンサイズ化の果てに

 表面物理学は、物事がダウンサイズ化する過程で生まれてきた学問です。IC技術のように、物事が極度にダウンサイズ化すると、表面の性質が全体の性質にとって重要な意味を持ってくるのです。どういうことか説明していきましょう。

 通常、物質の性質は内部に存在する原子の数で決まります。

 金の小判を例にとって見てみましょう。小判の場合、表面にある原子よりも、内部にある原子のほうが圧倒的に多い。そのため、小判全体の性質は、内部にある多くの原子の並び方により規定されます。

 ところが、小判をどんどん薄くしていき、原子の層が三枚になったとしましょう。この状態では、内部にある原子の層は一枚になって、外部にある原子数のほうが多くなってしまいます。こうなると、もう小判と言えないかも知れませんが、“小判”の性質に外側の原子が大きく影響します。そこで、表面の原子の性質を知る必要が出てきます。これを調べるのが、表面物理学という学問なのです。

 内部の原子と異なり、表面の原子は物質の外側に結合する相手(原子)がいません。通常は表面に並んだ原子に空気が当たっている状態なのですが、空気も原子、分子の集まりです。そのため、物質表面の本当の姿を見ようとしたら、空気を一切取り除く必要があります。そこで、スペースシャトルが飛ぶような高度の高い宇宙空間くらいの、空気が非常に希薄な空間を人工的に作るのです。

 こうして物質の表面に当たる空気を無くしてしまうと、空気と結合していた手が新たな結合相手を探すため、原子同士が近寄ったり遠ざかったりして並び方が全く異なってくるのです。特に半導体のシリコンでは、配列の変化が著しく見られます。一方で鉄やニッケルといった金属類はそれほど変化しません。結合の手が少ないからです。

 このようにして見えてくる、とても身近な、しかし新しい表面の世界――それが、表面物理学の対象とするフィールドなのです。

宇宙開発が拓いた学問

 みなさんにとって表面物理学は聞きなれない学問かもしれません。実際表面物理学は、1965年以降発展してきた、とても新しい学問です。私が学生時代の頃にはまだありませんでした。

 しかしながら、この学問の成立には明確な一連の流れが存在するのです。表面物理学がどのように発展してきたのか、その歴史を眺めてみましょう。

 今から50年以上前、アメリカ大統領ジョン・F・ケネディ(John Fitzgerald Kennedy,1917-1963)が、人類を月に到達させるアポロ計画を立てました。この計画が進む中で、宇宙空間という空気の無い状況で宇宙服が破れないかといった様々な実験が行われました。国家による莫大な資金を背景に、人工的に空気を抜く、すなわち超高真空を作る技術が急激に発展していきました。空気の無いところで物質はどうなっているのか? その疑問に答えるための手段が、宇宙開発のおかげで成立したと言えるでしょう。さらにダウンサイズ化も重なって、表面物理学は70年代に爆発的に世界中へと拡大していきました。現在では、あらゆる大学がこの分野の研究を行っています。

LEED(Low Energy Electron Diffraction)

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  ここで、私たちが実際行っている表面物理学の実験について見てみましょう。

 まず実験装置の空気を丸一週間かけて抜き超高真空状態を作った後、実験対象となる試料の表面を高温で溶かして、ゆっくりと時間をかけて冷却します。こうすることで、不純物がなく原子の配列が保たれた表面の状態を実現できます。

 こうして磨かれた物質の表面に電子をぶつけ、跳ね返ってくるエネルギーを失わない電子を観測します。これは低速電子回折(LEED)法と呼ばれる手法です。一見難しそうな名前ですが、ここで用いられているのは、高校時代に学ぶ波の原理そのものです。物理の授業で、多重スリット(回折格子)による光の回折の実験をするでしょう。スクリーン上の回折パターンの明るい線の間隔を測定することで、スリットの間隔を求めることができたことを思い出してください。

 電子も光同様、波としての性質を備えています。その波長は光よりも遥かに短いのですが、物質の原子間の距離程度になります。そのため、物質の表面にぶつかった電子線は、スリットを通った光のように回折を起こします。こうして跳ね返ってきた電子の波は、光と同じように干渉・回折しあいます。この干渉・回折パターンを確認することにより、スリットの間隔のように原子の間隔を知ることができます。電子の波長や入射角度を変えて実験を繰り返すことで、表面全体の原子の配列情報が得られるのです。

純粋な真理の探究

  私たちのやっていることは、空気のない、ある意味では理想的な状態における研究なので、現実にそのまますぐ応用されることはあまりありません。機能性のいい膜や新しい物質を作るための基礎的な研究になることはありますが、何か新しいものを作ろうというよりは、実験を行い、その上でなぜこういうパターンが出てきたのかといった基本的な問題に着目する学問です。一見しただけでは直接世の中の役に立っていないようにも思われるかもしれません。それでも、世界中で非常に多くの研究者が活躍していて、企業の研究所などでも大規模な実験が行われています。

 もっとも、表面の性質自体はいろいろな所で利用されています。たとえば、触媒。自動車から出る排気ガスは、触媒によって二酸化炭素等が取り除かれ浄化されます。冷蔵庫に入っている脱臭材なども、鍾乳洞のように表面が入り組んでいて、その表面に匂いの成分を捉えています。これらはすべて、表面の性質の研究により可能になった技術です。

  私たちがやっているのは、原子配列などに着目したよりミクロな、すなわちナノスケールの研究です。目に見えない原子の動きや構造を、実験データから読み取る。そういった、純粋な真理の探究なのです。

物理実験は大変!?

  新しい実験をやろうとすると、既製品ではなかなか難しい。まず装置から自分で作らなければいけません。そこでまずは、装置の図面を試行錯誤しながら自分で書いて、業者に発注し、ようやく実験装置の部品が得られます。実験を始めるまでには何カ月もかかるのに、実験自体は1日か2日。もちろん失敗したらやり直しです。実験は体力的には辛いですが、結果から判断してモデルを考えるという点では、前提から筋道だけで導かなければならない理論的方法より精神的に楽かもしれませんね。大抵の実験は90%近くが準備で、そこで手を抜かなければ、あとの10%くらいは大体うまくいきます。いちから始めた実験が成功したときの達成感は大きいですね。

アドバイス

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  物理学では難しい数式を使うことが必要になってきますが、そういった技術よりも一番大切なのは自然現象をありのままに正しく捉えることです。なぜ虹ができるのか≠ニいった「何故」の気持ちを大切にしてください。「科学の芽」という言葉があります。何に対しても不思議だと思う気持ちを持つことの重要性を表した言葉です。たとえば、夏に黒い服を着ている人が少ないのは何故か。黒い服は光エネルギーを吸収しやすいからです。こういった身近なことから、「なぜそうなっているんだろう?」と考える習慣があれば、その後の学びも大きく変わってくると思います。不思議なことを「常識」の一言で片づけてはいけません。服の色一つとっても、世の中は結構合理的に動いているのです。

理学部 物理科学科 押山 孝教授

プロフィール

理学博士。高校時代は理科よりもむしろ数学に興味を持っていたが、大学時代に転向し物理を学ぶ。京都大学の研究室では先輩たちの理解度の深さに驚いたが、積み重ねの結果、物理の理解に辿り着いた。博士課程修了と同時に京都産業大学の理学部講師となる。現在の専門は表面物理学。LEED(低速電子回折)法を用いた実験を行っている。山梨県立甲府第一高校OB。

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