植物育種を支える理論 —遺伝子の気まぐれに確率論と統計学で挑む—

工学部 生物工学科 米澤 勝衛教授

遺伝子の気まぐれに確率論と統計学で挑む

図1

 人間は農耕生活を始めた時から、野生の植物を交配して品種改良し、育てやすい農作物をつくり出し、文明社会の基礎を築いてきました。これが現代まで受け継がれる「植物育種」の原点です。近代になり科学技術の発展とともに育種にも科学的な手法が取り入れられるようになり、「植物育種学」という分野が確立しました。なかでも米澤勝衛先生が取り組むのは、最も効率のよい育種方法を計算によって求めていくという理論的研究。おなじみのメンデルの理論や確率論を基礎としながら改良対象植物の特性や改良目的に合わせて予測式を構築して、育種の効果を予測します。比較的わかり易い例を使って、その基本的な考え方をご説明いただきました。

植物育種はプランに沿って

図1

 育種とは、簡単にいえば交配などの方法で遺伝的な変異をつくり出し、その中から実用的に優れたものを選び出すという作業です。古来、人々は病気や害虫に強い作物を経験的につくってきました。現代では、それが数学理論に支えられたよりシステマチックな方法に進化を遂げています。その一般的な過程をわかりやすく示したのが図1です。最初、これから育成しようとする新しい品種に必要な特性を具体的に決めます(育種目標の決定)。次いで、その目標を達成するために適していると思われる育種素材をストックの中から選ぶ(育種素材の選定)とともに、育種の方法を決定します。これに続いて、実際にその育種素材を交配して変異体を含む集団をつくり、その中から育種目標に合うものを予め決めた方法で選びながら目標とする新品種をつくっていくのです。

※1 品種改良を行うための出発系統で、交配で変異集団をつくる場合は交配親のこと。

※2 異なった遺伝子型を持つ個体あるいは系統からなる集団。

※3 変異作出〜優良変異選抜のサイクルを何回か繰り返す方法。

※4 外国などから取り寄せた系統。

※5 古い時代に育成され、維持されてきた系統。

※6 育種素材として利用する目的で、遠縁交配などの方法で人為的につくり出した系統。

重要性の高い遺伝子資源のストック

 植物の遺伝資源系統の収集と保存は、昔はそれぞれの土地の篤とくのう農家か などがごく小規模で行っていましたが、現在では、世界的な課題として各国が国際的組織のもとで連携して計画的に行っています。もちろん日本にも、世界中からさまざまな遺伝子を持つ素材系統を集め、その特性を調査した情報とともにその種子や実物をストックしている組織と施設が完備されています。

いかに効率的に目標に近づくか

表1

 素材系統を交配してつくった集団から目的に合った優良な個体を選び出す作業を、「選抜」と呼んでいます。交配してできた次世代の子どもの中から、良い特徴を示す遺伝子をできるだけたくさん持った個体を選び出していく作業です。選抜の結果、新品種にふさわしい優れた特性を持った個体あるいは系統が得られるかどうかは、毎世代の集団の大きさ、選抜の強さ弱さ、特性の良し悪しの判定方法、選抜の回数などに大きく左右されます。そこで必要となるのが、限られた時間と労力の下でこれらの条件をどのように定めるのが最善かを、数式や数字を使って求める方法です。

図2

 例えば、親系統AとBを交配してつくったある集団(N個体からなる集団としよう)から、両親の良い特性(表1中では○と表記)20個をすべて備えた個体を選び出す場面を考えますと、図2のような選抜過程が想定できます。

 世代1では、○(良特性)を10個持った個体が大部分で、20個持った個体はまだ出現しません。そこでなるべくたくさん○を備えている個体をpの割合で選抜・交配して、次世代をつくります。すると世代2では、世代1の時よりも○を多く持った個体が出現する頻度が増えますが、まだ20個全部持った個体は出てきません。そこで同様に、上位の個体を選抜し、また交配する…ということを繰り返していくと、ある世代tで○を20個持った個体が出現します。

 目的とする個体が得られる確率は、N、p、t、および改良対象の特性数(この例では20)によって決まります。例えば、許されたコスト(総個体数N×t=一定)の下でこの確率を最大にするにはこのN、p、tをどのような値にすればよいかといった問題に計算で答えを与えるわけです。

 以上は、植物個体を実際に畑や田んぼで大きくなるまで育てて調べた時の特性の良し悪しで選抜を行う場合の話ですが、最近は、大きくなるまで育てなくても発芽直後の葉っぱ1枚をすりつぶして調べるだけでその個体が良い遺伝子を持っているかどうかが判定できるようになりつつあります。このような方法をDNAマーカーを利用した選抜といいますが、個体を育てるための時間や労力が節約できる反面、判定が正しくなかったりお金がかかるためたくさんの個体が調べられないといった欠点もあります。DNAマーカーを利用した選抜方法が従 来の方法よりも効率的かどうかといった問題にも、理論計算で答えを導きます。

不可欠な役割を担う理論的研究

 ある選抜方法を実際に行ってその結果をみるには多くの年数と労力がかかります。また、その結果は多くの偶然要因の影響を強く受けます。したがって、選抜方法の良し悪しは、その選抜操作を何回も繰り返して行ってその結果全体をみてからでないと判断できませんが、そんなことは現実には不可能です。

 実験に代わって答えを与えてくれるのが、理論計算です。選抜方法ごとに結果の予測式を構築し、これまでに蓄積されてきた遺伝実験データをその式に当てはめて計算して選抜の結果(偶然要因による結果のばらつきを含めて)を予測するわけです。遺伝子の次代への遺伝や選抜の結果がどうなるのかは偶然の影響を受けてばらつく確率現象ですから、選抜結果の予測式をつくるには集団遺伝学の理論 と確率・統計学の概念や手法が不可欠です。私のようないわゆる理論屋は、植物育種の分野では少数派ですが、なくてはならない役割を担っているという自負があります。

原点はメンデルにあり

 育種の理論研究の基盤にあるのは、メンデルが発見した遺伝法則です。メンデルといえば「メンデルの法則」でおなじみですが、なんといっても彼の革新的なところは、「親から子へ性質を伝えるのは、安定した“つぶつぶ”の物質である」ということを初めて唱えた点です。それまでは、遺伝は両親の体液が混ざり合うことによって起こると考えられてきたのを、まったく違う発想で「粒子説」を打ち立てた。つまり、遺伝子はデジタルであることを見抜いたのです。これによって遺伝の仕組みを数式に置き換えることが可能になりました。一般に新しい学説や発見がなされるときは、同時代の何人かが同じことを思い付いているものですが、彼の場合は他に「粒子説」を着想した学者はまったくいなかった。そのために、彼の主張が他の学者に理解されるのに40〜50年かかりました。知れば知るほど、彼の独創性は群を抜いています。

絶滅危惧種も救える!?

 理論的研究は、品種改良の場面だけでなく、野生の生物集団を未来にわたって守り継いでいくという生物保全の場面でも役立ちます。はじめさまざまな遺伝子を含んだ集団も、維持の仕方が悪いと何世代かのうちに一種類の遺伝子だけになって環境への適応力を失ってしまい、やがては滅びてしまう。これを防ぐため、例えば、100年経った時に当初あった遺伝子の95%以上を集団に維持するには、世代あたりの個体数、個体間の交配の仕方、各個体の寿命や子数の管理をどのようにすればよいかといった問題に、計算によって解決の目やすを与えることが可能です。数年前には、石川県・白山のシンボルである野生のクロユリ集団を守るプロジェクトに参加し、理論的モデルを使ってその集団の未来を予測したことがありました。

アドバイス

まずは幅広い知識と体験を

 自分の好きなもの、やりたいことを早いうちに決めて、まっしぐらに進むことも素晴らしいと思いますが、あまり早くに決めてしまうと興味の幅が狭くなってしまいます。高校生くらいまではできるだけたくさんのものに好奇心をもって向き合ってほしいですね。独創性や個性も、そんな積極的かつ幅広い学びから育まれていくものではないかと思います。

工学部 生物工学科 米澤 勝衛教授

プロフィール

高校時代から理系科目が得意だったという米澤先生。大学は、当時の花形だった農学部へ。人間の目的に沿った農作物の品種をつくりあげることに面白みを感じ、育種の道を選んだ。メンデルの論文を原文で読み、あらためてその偉大さを知ったことが、“理論”にめざめるきっかけになったという。「精神作用によって、目に見えない世界を見える姿に構築するプロセスこそが理論の醍醐味」と、日々、思索を重ねる。農学博士。

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