さりげないコンピュータ —生活空間でのコンピュータの新しい使い方を考える—

コンピュータ理工学部 ネットワークメディア学科 水口 充教授

生活空間でのコンピュータの新しい使い方を考える

 コンピュータは私たちの生活に欠かすことのできない存在になっています。今後はさらに、多数のコンピュータで一人の人間を支えるユビキタスの時代が来るといわれます※1。いたるところにコンピュータが存在する時代に向けて、便利だけれど自己主張をしすぎない穏やかなコンピュータをどのように創るかを研究している水口先生。これからの人とコンピュータの関わり方や、最近の研究についてお話していただきました。

※1 ユビキタス・コンピューティングの提唱者として有名なマーク・ワイザーはコンピュータの時代を大きく3つに分けた。第一期は大勢の人が一台のコンピュータを共有するメイン・フレームの時代。第二期は一人一台のコンピュータを所有するパーソナル・コンピュータの時代。第三期がユビキタス・コンピュータの時代。

ユーザインタフェースとHCI(ヒューマンコンピュータインタラクション)

 HCI(ヒューマンコンピュータインタラクション)は、人とコンピュータおよびコンピュータを介した人と人とのインタラクションに関する研究分野です。ユーザインタフェースがコンピュータの操作をどのようにわかりやすく簡単で効率的で便利にするかを研究する分野だとすると、HCIはコンピュータの使い方そのものに焦点をあてるものです。

 切符の券売機を例にとってみると、ユーザインタフェースはどうすれば切符が買いやすくなるか、使い勝手のよい券売機を研究すること。一方、そもそも切符を買わずに電車に乗れたらもっとよいだろうと、プリペイドカードやICOCAなどのICカードを考え出すのがHCIの分野だといえるでしょう。発想を転換することで新しい乗車システムを考えるのです。

 いまやコンピュータは机の上で使うだけのものではありません。携帯電話やゲーム機などのように、生活の中のありふれた存在でもあり、コンピュータと人間との関わり方も変わってきています。こうした中で、コンピュータの新しい可能性を切り拓いていくのがHCIの研究分野。もちろん、使いにくいと話になりませんから、ユーザインタフェース、ユーザビリティの観点は基本としては外せませんが。

これまでにないコンピュータを創り出す

 HCIの前衛的な分野では、アートやエンタテイメントとの境目はなくなりつつあります。求められるのはクリエイティブな能力です。また、ユーザビリティを最重要としない流れもみられます。iPodを手に取ったことがある人はわかると思いますが、iPodはユーザビリティの面では決して優れているわけではありません。しかし、iPodはヒットしました。デザインや性能、操作感などの面から「持ちたくなる」「使いたくなる」ものであることの方が、ぱっと見て操作方法がわかることよりも重要なのです。繰り返し使うものは直感的に使い方がわからなくても、使い勝手がよく、忘れない程度の操作方法であれば、ユーザインタフェースとして支障はありません。むしろ使っていて気持ちがいいことやクールなデザインを備えていることが、好んで使いたくなる、すなわち使い勝手がよいとユーザには判断されるようです。

 こうしたHCIの分野の中で“コンピュータの新しい使い方”を模索するのが私の研究の一つのテーマです。

Calm Technology ― 穏やかな技術に向けて

 ユビキタス社会という言葉は、いつでもどこでもコンピュータに囲まれた社会を意味するものとしてよく紹介されますが、実はこれは提唱者のマーク・ワイザーがいった意味とは少し異なります。彼が思い描いたのは“Calm Technology”に囲まれた世界。すなわち、普段は何気ない存在になっていて、必要な時にはそっと支えてくれるようなコンピュータに囲まれた世界のことを意味していたようです。

 私がめざしているのもある意味“CalmTechnology”で、いわば“一所懸命に使わないコンピュータ”を創りたいと考えています。たとえば、研究中の文字アニメーション(右頁参照)を使って、さりげなくいい情報に気づかせるようなもの。あるいは、ユーザが一所懸命探さなくても面白くて役に立つ情報を提供してくれる、つけっぱなしのテレビのようなものなどです。身の回りを取り囲むコンピュータの便利さは失いたくないけれどコンピュータにしばられない、そんな未来を創っていきたいと考えています。

 以下に、こうした研究から生まれたものをいくつかご紹介します。

地図情報検索システムWING(1995年)

地図情報検索システムWING(1995年)

 キーボードを使用せずにマウス操作によるズームインとズームアウトの機能だけで情報を得る地図情報検索システム。地図右には地図上の円内にある施設情報が表示されます。ズームインすると詳細情報が、ズームアウトすると全体を見ることができます。左下のカテゴリーウィンドウでは分類から検索が可能。目的の分類をズームインすると下位の分類が出てくるので、該当するカテゴリーをさらにズームインして目的地を選びます。右下のインデックスウィンドウはよみがなの途中からでも施設名を検索することができ、名前が一部しか思い出せなくても目的施設を探し出せます。白字になっているところが基準の字で、上からあいうえお順になっています。○○ホテルやホテル○○を探したければ、「ほ」と「や」の間をズームインしていきます。

 ユーザの操作に対して連続的かつリアルタイムに反応するズーミングインタフェースが特徴的。従来のGUI※2において、ワンクリックという簡単な動作で大きな変化が起こることが使いにくさにつながっているのではという考えから、たくさんひねればたくさんの水、少しひねれば少しの水が出る蛇口のように、状態の変化量がユーザの操作量に対応しています。いわば「なめらかなユーザインタフェース」。(シャープでの研究。)

※2 Graphical User Interfaceの略。コンピュータの画面上にグラフィックで表示された情報をユーザはマウスなどで選択する。それまでの主流は命令文を入力して実行する方式(GUI)。GUIでは直感的な操作が可能。

情報探索システム Info Globe(1999年)

情報探索システム Info Globe(1999年)

 たくさんの情報をながめて選ぶ「ながめるインタフェース」。Info Globeは仮想本屋システムです。球面にはりついた本がランダムに提示されてくるくると回り、古いものから消えていきます。興味をひかれたら、ボタン一つを押すことで本が選べます。すると選択された本の詳細が画面右に表示され、球面では関連する本が回ります。

 人とコンピュータとの対話システムでは、ユーザが操作しないとコンピュータは応答しません。かといって自動実行にすると期待通りに作動しないものです。そこで、Info Globeでは、システムが自動的に選択候補を提示し、選択はユーザ自身が行うことにしました。ほしいものがわからない時は一所懸命に探すことができないため、ながめるだけのシステムになっています。食べたい寿司が決まっていなくても実物を見て気軽に選ぶことができる回転寿司のようなものといえるかもしれません。

風覚ディスプレイ(2006年)

風覚ディスプレイ(2006年)

 「風」によって触覚を刺激することでささやかな情報伝達を行うものです。視覚を補うための五感メディアとしては聴覚利用が思い浮かびますが、騒がしく感じたり、気づかなかったりすることもあります。風覚であれば、音楽や映画を視聴中でも気づくことができるのも利点の一つ。送風装置は必要ですが、体に備えつける必要はありません。表現は風向きと風量によって行います。たとえば大量に届いたメールのどれを見ればよいか、その時に見たり聞いたりしている情報に関連する情報や役立つ情報を「風」がそっと教えてくれます。にぎわった掲示板ほど強い風を吹かせることで掲示板のにぎわい度がわかるシステムなども開発しました。

文字のアニメーション(2008年)

文字のアニメーション(2008年)

 動きのついた文字による視覚的表現。たとえば「snow」という文字が画面をゆっくりと上から下へ移動します。まるで、しんしんと降る雪のように見えます。一方、同じ「snow」が斜めに激しく動くと、吹雪のように感じます。

  文字のアニメーションを応用して開発中なのが「Ambient Mailer」。現在の新着メールの通知では、どんなメールが届いたかわかりませんから、重要なメールとそうでないメールとを見分けることができません。Ambient Mailerでは文字情報の特徴を文字自体で表すことで、どんなメールが届いたかがわかる仕組みです。また、文字アニメーションを使うことで邪魔にはならない程度に気づきをうながすといった、何気ない存在感を示します。画面左にスクロールされるのが件名。画面中央辺りではメール本文中のキーワードがポップアップする動きとともに、ランダムな色と角度で現れては消えます。生活空間で表示することを想定し、★マークで伏せ字をして本人にだけ気づきをうながします。内容を知らない人にとっては、まるで動くアートのよう。重要なメールではどのような気をひく表現をさせることができるかなど、今後の研究課題も尽きません。

コンピュータの歴史

年代出来事
1946年世界初のコンピュータENIAC完成
1964年世界初の汎用コンピュータ(メインフレーム)発売
商用のスーパーコンピュータ誕生
1971年世界初の4ビットマイクロプロセッサ開発
1977年パーソナルコンピュータ誕生AppleII発売
1981年IBM PC発売
1984年Macintosh発売
1995年Windows95発売
(1990年代 携帯電話の普及)
2000年プレイステーション2発売。DVDが普及していく。
2001年iPod発売
2001年ADSL普及(ブロードバンド元年)
2008年総務省・ユビキタス特区を創設し実証実験を開始

天才は1%のひらめきと99%の汗でできている

 エジソンのこの言葉は有名です。ただ、彼が実際に言ったのは「1%のひらめきがあれば99%の努力も苦にならない」という意味。もちろん努力も必要ですが、たった1%の小さなものであれ、ひらめきを大事にしてほしいと言いたかったのです。

 HCIの分野では特に、いかに人と違う着想を得るかが重要になります。同じinputであればoutputも同じになります。人と違うひらめきを得るためには、いろいろなものを見聞きして、人と違うinputをたくさん持っていることが大切なのです。ですから高校時代に「自分はこれが得意!」と自慢できるようなものを持てるといいでしょう。バックグラウンドが多ければ、それだけ面白い発想ができますから。もちろん基礎体力として勉強は大切ですが、勉強以外のことでもよいので、何か人と違うことにチャレンジしてみてください。

コンピュータ理工学部 ネットワークメディア学科 水口 充教授

プロフィール

博士(工学)。専門はインタラクションデザイン。コンピュータが好きで、中学生の頃からプログラミングのできる電卓でゲームを創作していた。雑誌に投稿して掲載されたことも。当時から「人と違う新しいもの」を作ることが好きだった。京都大学工学部工業化学科では化学反応をコンピュータシミュレーションでモデル化する研究をする一方、趣味でコンピュータを触る毎日。修士課程修了後はコンピュータに携る仕事がやりたくてシャープ株式会社へ就職。コンピュータシミュレーションやCADの部署から隣の部署で始まったユーザインタフェースの研究へ異動したことが現在の研究につながっている。東大寺学園高等学校出身。

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