細胞はなぜ増えるのか?
—分子細胞生物学レベルで解明する驚異のメカニズムとガン撲滅へのシナリオ—

工学部 生物工学科 瀬尾 美鈴教授

 オトナになるに従って、体重はともかく、身長が伸びなくなるのは、ごく一部を除き体を作っている細胞の増殖が抑えられるからです。人間にとってまだまだ恐るべき敵であるガンは、周囲の細胞の増殖プログラムを呼び起こすことで自己増殖します。分子細胞生物学レベルで細胞増殖のメカニズムの解明に取り組む瀬尾美鈴先生に、これまでの成果と、そこから見えてきたガン撲滅のシナリオなど、応用研究の一端についてお聞きしました。

ガンはなぜ恐ろしい

 人類最大の敵の一つであるガン。その恐ろしさについては様々なところで語られていますが、ここで改めて私が関わっている細胞増殖という分子細胞生物学的な視点から、その一般的な特徴をまとめてみましょう。

 まず一つは、自己増殖し、しかも転移しやすいということです。通常私たちの体を作る細胞は、発生の初期には分裂と移動を盛んに行いますが、ある程度成長すると、それが止まり、それぞれの細胞は自分の置かれた場所で、それぞれの役割をするようになります(分化)。もはや移動したりある特定の細胞だけが増え続けたりということはなくなり、その場所で新しい細胞と古い細胞とが入れ替わる、つまり新陳代謝を繰り返すだけになるのです。細胞に組み込まれた増殖プログラムがバランスよく機能し、増えすぎもせず減りすぎもしないわけです。また万一、自分の居場所を離れることがあっても、その場合には死んでしまうのが一般的です。ところがガン細胞は、成長した体の中にあっても自己増殖し、しかも血管などを通して軽々と移動し、移動した先でも新たに増殖することができるのです(これを転移と呼びます)。

 ガンのもう一つの特徴は、強い耐性を持つことです。薬などを使って殺しても、少しでもその一部が残っていると、ガンは再び増殖し始めます。しかも今度は、そうした薬などが効きにくいように、その増殖のプログラムを変えてくるのです。ガンは正常細胞が本来持っている、遺伝子の中にある増殖のプログラムに異常や変異を起こさせるものですから、耐性も作りやすいわけです。

すべてを自分の味方につける、その巧妙な仕組み

 なぜガンはそれほど簡単に転移し、耐性を身につけることができるのか。ちょうど私がハーバード大学の附属病院へ留学していた1980年代から90年代にかけては、その増殖プログラムの仕組みについて、たくさんの研究成果が一斉に花開いた時期でした。ガンが様々な細胞増殖因子というものを分泌し、周りの細胞に働きかけることがわかり始めたのです。

 その因子の中で代表的なのが、血管内皮細胞増殖因子(VEGF)というものでした。成長した体の細胞はふつう、皮膚や髪の毛、口から肺、消化器官にかけての上皮などの体の表面にある細胞や、骨髄で作り出される血液中の細胞以外はほとんど増殖しません。増殖するプログラムは遺伝子の中に残っていますが、それを止める遺伝子も働くからです。増殖するプログラムを止める遺伝子は、ガン抑制遺伝子と呼ばれるもので、当時p53やRBというのが見つかり、これに欠陥のある人ではガンの発生率が高まることが報告されていました。すなわちガンでは、このプログラムが効かないのです。さらに正常細胞にあっては、増殖因子を必要なときに必要な量だけ作りますが、ガンは、それを多量に生産分泌して、周囲の細胞の増殖プログラムを呼び醒ますのです。

 ガンが分泌するVEGFは、周囲の血管、とくに毛細血管を作る血管内皮細胞に働きかけます。すると血管内皮細胞は急激に増殖を始めます。これが血管新生と呼ばれる現象です。そしてガンはその血管を自らに呼び込み、そこからたくさんの酸素と栄養をもらい、一気に大きくなります。しかもその一部は、血流に乗って、他の場所へと移動していくのです(図①)。

 ガンは同時に、血管以外の細胞にもVEGF以外の細胞増殖因子をふりかけて様々な働きかけをすることもわかってきています。詳しい解説は省きますが、自分が増殖し転移しやすいような環境を、周囲の細胞に働きかけて作らせるのです。これが耐性を簡単に持つことのできる一つの原因です。

腫瘍血管内皮細胞と壁細胞 図①

増殖の驚異のメカニズム。増殖因子と受容体

 血管内皮細胞をシャーレの中で培養し、これに細胞増殖因子の一つをふりかけると、それがまるで魔法の薬でもあるかのように、細胞は次々と増殖し始めます。この時、因子は情報を伝えたい細胞に直接入っていくわけではありません。因子はタンパク質でできていて、たいていの場合、細胞膜に遮られて細胞の中へ入ってはいけません。そこで細胞表面にアンテナのように突き出た細胞増殖因子受容体(レセプター)というものに取り付きます。このレセプターは細胞の内側で酵素につながっていて、増殖因子を受け取ると向かい合っているもう一本のレセプターの根元にある酵素を呼び寄せ、レセプター同士を合体(カップリング)させます(二量体化)。この時、それぞれの酵素は、お互いのタンパク質に働きかけ、触媒反応でそれをリン酸化(チロシンリン酸化)します。そして、この反応がその後の細胞の誕生・死、分化・移動などの運命を決めることが90年代に明らかにされたのです。

 チロシンリン酸化が起こると、細胞内にあった様々なタンパク質が、それを目印に集まり、順番につながることで、酵素による触媒反応が次々とリレーされていきます。そしてガン遺伝子の産物といわれ、分子スイッチの役割をするRas(ラス)というタンパク質が活性化すると、情報(シグナル)はさらに下流へと伝えられます。最終的には核の中にまで伝えられて、新たな遺伝子発現を促し、細胞の機能が大きく変化します(図②)。ガンの場合でいうと、本来は起こりえない増殖や変異が行われるわけです。またこの一連のシグナル伝達の経路の中で、レセプターや、それに関わるタンパク質などに異常があると、因子が分泌されなくても増殖のメカニズムが働くことがわかってきています。

 さらにこの受容体から始まる一連の情報伝達経路は、最近の研究では上皮細胞だけにあるのではなく、その内側の、上皮と臓器との間を充たしている間充織という組織を形成する細胞にもあることがわかってきました。そしてガンがこの間充織細胞の一つである繊維芽細胞に働きかける増殖因子(FGF)を分泌することもわかってきたのです。

図②

※しかも、四肢の形成過程にみられるように、上皮細胞と間充織細胞とはお互いが作った増殖因子をキャッチボール(情報交換)して相手とは違う因子を作って分化し、新たに違う細胞を作るきっかけを作っていることがわかってきています。

見えてきた新しい治療法

 このようにバイオサイエンスの基礎研究の大きな発展によってガンの特徴である増殖と転移、耐性の仕組みが明らかになってくると、その新しい知識をこれまでとは違った治療法や治療薬の設計に応用することができるようになります。これまでの治療では、とにかくガン細胞の増殖を抑えることが最優先されてきましたから、副作用も激しく、ガンが死ぬのが先か、患者さんが死ぬのが先かといわれることもよく起こりました。ガン自身を抑えようとすると現に増えている正常な細胞にも影響を与え、髪の毛が抜ける、腸の上皮細胞がやられ物が食べられなくなる、骨髄の中にある造血幹細胞がダメージを受けて貧血になる、などの副作用が起こることが少なくないのです。

 こうした旧来型の治療法にかわって期待されているのが、分子標的薬などの、ピンポイントで特定の分子に働きかけ、ガンが増殖しにくくなるような環境を作る方法です。低用量の化学療法剤と併用することで、効率的でより副作用が少ない治療が行えると期待されています。たとえば細胞増殖因子からのシグナルを伝達する経路に関与する分子のどれかに、直接働きかけて、その伝達経路を止められれば、増殖を止めガン細胞を直接たたくことが可能です。あるいはガン細胞を生かすのに必要な血管新生を阻めば、ガンを兵糧攻めにし、なおかつ転移も防ぐことができます(抗血管新生療法)。とくにこの方法では、ガンと違って正常な血管内皮細胞は耐性を獲得しないことから、同じ薬を長期間使えます。私たちが製薬ベンチャーと共同研究を始めたのもこの方法です。また最近ではガン細胞は血管だけでなく、リンパ管にも働きかける増殖因子を持っており、リンパ節転移に働いていることもわかってきましたから、同じような考え方、方法でリンパ管新生を妨げる薬の開発も始まっています。いずれのケースも、動物実験では著しい効果が上がっています。また、間充織細胞の増殖を促す因子についても、それを妨げる薬の開発も急がれています。

 いずれにしても、レセプターに始まって、遺伝子発現に至るまでのシグナル伝達経路について、そしてそこに関与するタンパク質や酵素一つ一つについては、さらに詳しく解明していく必要があります。課題は山積ですが、システムそのものの全体像が見えてきた今、ガン撲滅へのシナリオにも確かな手応えを感じています。

クローズアップ

どんな研究・進路?

生物工学的手法の基礎を身につける

 卒業研究では、細胞増殖因子を作るDNAを取り出して検査したり、それを使って細胞を大量に作ったりするなど、生物工学的な知識や手法を使った実験を中心に行います(写真)。最近では、薬が効くのか効かないのかなどを調べるスクリーニングも、かつてのように、いきなり動物実験をしたり、薬学の専門家だけが行ったりするわけではありません。薬の開発の初期段階では生物工学的手法を用いて、調べたいタンパク質などを量産することで時間を短縮するなど、たいへん効率的に行われています。これらの研究は、その際のベースとなる、たいへん重要でやりがいのあるものです。

 卒業生の多くは研究員やMR(医薬品会社の医薬情報担当)として製薬会社やベンチャー企業などで活躍しています。最近では大学院進学も増えていますね。

 高校時代に生物を学んでいない学生が多いのは気がかりですが、少なくとも化学は学んできてほしいと思います。

再生医療ではプラス面が

 これまでお話してきたことは、細胞増殖因子の持つ負の側面でした。しかし生体の持つタンパク質や酵素などには必ず二面性があります。ある種の細胞増殖因子には細胞を増殖させるアクセルの面だけでなく、それを抑えるブレーキの側面もあります。またその機能にも二面性があります。ガンなどの場合、増殖因子はマイナス面に働きますが、反対にアルツハイマーなど、脳の神経細胞の一部が変性することによって起こる病気には、増殖因子をプラスに活用する方法が試されています。組織から取り出した幹細胞(すべての細胞に分化することのできる細胞)に増殖因子をふりかけ、神経細胞などの目的とする細胞をシャーレで培養・増殖して、それを必要な箇所へ移植するのです。また重篤な糖尿病と合併する閉塞性動脈硬化症によって壊死した下肢に、バイオテクノロジーで作った増殖因子を投与する、あるいは寝たきりで床ずれの起きた部位に、細胞増殖因子をスプレーするなど、再生医療では増殖因子のプラス面が大いに活用されているわけです。

工学部 生物工学科 瀬尾 美鈴教授

プロフィール

“白い薬を頭の中で考えて作る”、そんなキレイな仕事に憧れて進んだのは医学部薬学科。しかし、ある医学の授業で、病気のことがわかっていないと有効な薬は作れないことに気付いたのがきっかけで、卒業研究は生理化学教室へ進んだ。さらにハーバード大学附属の小児病院へ留学した際、分子細胞生物学の世界的権威、フォークマン博士に師事したことで本格的に分子細胞生物学の道へ入ることとなった。生物工学科の開設とともに京都産業大学へ着任。「これからは生物工学の技術で新しい薬を作る時代が来る」、当時の恩師の一言は、時代の先端を走る今の研究を予言していたようだ。広島市立舟入高校OG。

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