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脳にしかない酵素を発見!ー糖タンパク質の解明を通じて脳が出来上がるまでの過程に迫るー
工学部・生物工学科 黒坂 光教授
人をはじめ多くの生物の遺伝情報が解き明かされる中、研究者の関心の一つはいま、遺伝子の情報をもとに作られるタンパク質の機能の解明へと向けられています。
脳にしかない酵素に着目し、その働きを調べることで脳の発育の過程に迫ろうという黒坂光先生に、その最新の成果と今後の展望についてお話いただきました。
脳にしかない、糖タンパク質を合成する酵素(糖転移酵素)を発見!
私たち生物の体を形作り、かつ生体が正常な機能を続けていくのに欠かせない物質であるタンパク質。細胞の中では、遺伝子DNAに書き込まれている遺伝情報が、DNAとよく似た分子であるRNAに転写されます。そのRNAに写し取られた情報が、あたかも翻訳されるかのように、アミノ酸が数珠つなぎにされて、性質の全く異なる分子であるタンパク質が合成されます。しかしタンパク質が機能するにはアミノ酸を連結するだけでは不十分です。タンパク質は、アミノ酸の鎖が正しく折りたたまれ、さらに特定のアミノ酸が化学反応により修飾をうけて(翻訳後修飾)はじめて、機能を持つことができるようになります。この修飾反応の代表的なものに、タンパク質の特定のアミノ酸への糖の結合反応があります。通常、糖は一つだけでなく、糖がいくつも鎖状に連結したもの(糖鎖)がタンパク質に結合しています。このような糖鎖を含む分子を糖タンパク質と呼びます。
糖タンパク質には様々な機能があります。細胞の表面にある糖タンパク質は、その分子上の糖鎖が目印になって、他の分子や細胞が結合することが知られています。白血球が炎症部位の血管内皮細胞に結合したり、精子が卵子を認識するのも糖鎖が関係しています。また唾液などの粘液には糖鎖を多く含むタンパク質が存在します。これらのタンパク質では糖鎖が分子に粘性を与えることが知られています。細胞の表面に粘性を与えるのもこのタンパク質の大切な役割なのです。
ではタンパク質にどのようにして糖が結合するのでしょうか。細胞の中には、糖を順次結合させていくたくさんの酵素が存在します。私たちはこれらのたくさんの酵素の中でも、タンパク質の特定のアミノ酸に、最初に糖を結びつける反応を行うN−アセチルガラクサミン転移酵素と呼ばれる酵素に注目しました。タンパク質上の糖鎖の合成では、まずこの酵素の働きによって特定のアミノ酸の上に一つ糖が付加します。次にその他の多くの酵素の共同作業により、その上に一つずつ糖が付け加えられて、複雑な構造をもった糖鎖ができあがります。したがって、私たちの注目した糖鎖合成の最初のステップを請け負っている酵素は、このようなタンパク質分子上のどの位置に糖鎖を付加するのかを決める重要な酵素であることがわかります。研究を始めた当初、タンパク質に直接糖を結合させるこのような酵素は、一つしかないと考えられていましたが、現在ではそれぞれ性質の異なる20数種類の酵素があると考えられています。私たちが最近発見することに成功したのは、これらの酵素の中で脳にしかないT9、T16という2種類の酵素です。
ゼブラフィッシュで実験
N−アセチルガラクサミン転移酵素の一群は、どのタンパク質の、どのアミノ酸に、糖を結合するかを決定します。私は、T9やT16が他の臓器に見られず、脳にだけ存在することに注目しています。これらの酵素は、脳の形成や、脳の働きに必要な脳特異的なタンパク質を見つけて,それに糖を結合させるという重要な働きをしている可能性が考えられます。この酵素の働きを調べれば、脳が形成されていく過程や、脳の様々な機能において、脳に特有な糖タンパク質が重要な働きをしていることを証明できるかもしれません。
私たちはこれらの酵素の働きを調べるために、胚が透明で発生過程の観察が容易であるゼブラフィッシュ(コラム下)というメダカに似た熱帯魚を使いました。その魚の胚に、T9、T16を作る遺伝子の働きを抑えるRNAの一種(モノホリノアンチセンスオリゴRNA)を注入し、その後の発生における形質の変化を調べてみました(コラム右)。
T9の働きを抑えた胚では、正常のものと比べて眼が小さく、また脳においては、後脳と呼ばれる領域に異常が見られます(写真1)。またT16の働きを抑えると影響はずっと大きく、眼、脳ともにより顕著な形態の異常が観察されました(写真2)。
次に私たちはT9、T16の働きを抑制した時に、どうして眼や脳の形成に異常が起こるのかを調べてみました。脳および眼の形ができあがる過程では、Pax 2.1、Pax 6.1と呼ばれる分子が重要であることが知られています。そこで私たちは、T16の働きを抑えた胚と正常な胚とで、それらの発現の違いを比べてみることにしました。写真3、4を見てください。紫色に見えるのがPax 2.1、Pax 6.1が発現している部分です。Pax 2.1は脳で、Pax 6.1は主に眼で、その発現量が著しく減少していることがわかると思います。原因はPax 2 .1、Pax 6.1が上手に作られないことにあったのです。
それだけではありません。T9、T16の働きを抑制した胚では、正常な胚にみられない細胞死(アポトーシス)※を起こしていることもわかりました。このことからも、T9とT16の正常な発現が脳の形成に深く関わっていることが一層確かめられたわけです。
アポトーシス:発生などの過程で、プログラムされて細胞が死んでいく過程をさす。たとえば、ヒトの発生段階では、指間に水かきのようなものができるが、発生が進むにつれて消失する。ゼブラフィッシュの胚の実験では、アクリジンオレンジという試薬を用いると、アポトーシスを起こした細胞だけが染色される。
モデル生物として最適のゼブラフィッシュ
ゼブラフィッシュはコイ科の魚で、成魚は4〜5cmでメダカと同じぐらいの大きさ。インド原産で主に熱帯に生息し、日本では熱帯魚としてよく飼われている。
- 脊椎動物であるため、ショウジョウバエなどの他のモデル生物と比べて、分子レベルでヒトと構造が類似している。
- 複数の遺伝子の働きを抑える実験系が確立されている(京都大学との共同)。
- 胚が透明で観察しやすい。
- 主だった器官の形成が24時間で完了し、稚魚になるまでが2日と生育が早く,また世代サイクルも短い。
以上の点でモデル生物として優れた性質を持つため、様々な実験に使われている。
脳の新たな機能の解明へ向けて
T16については、培養細胞も使ってその働きを調べています。シャーレの中でP19と呼ばれる未分化な胚性腫瘍細胞を培養します。
この細胞に、神経細胞への分化を誘導する試薬(レチノイン酸)を加え、さらに細胞同士が接着した細胞塊を作らせて、それを再度バラバラにほぐして培養を続けると、2日から4日ほどで神経突起が現れてきます。すなわち、試薬を加え、処理することで、細胞が神経細胞に変化してきたことがわかります。面白いことに、細胞がこのように変化する過程で、T16の量を測定すると、細胞が神経細胞に変わるにつれてその量が増えていることがわかります。このことからも、T16が神経系の形成に重要であることがわかります。また、この細胞でもゼブラフィッシュと同じように、T16の働きを止める実験を行うと、多くの細胞がシャーレからはがれ死に始めました。さらにこの細胞死の原因を調べたところ、ゼブラフィッシュの場合と同様にアポトーシスを起こしていることがわかりました。
このようにゼブラフィッシュ、さらには培養細胞においても、T9やT16の働きを抑制すると、正常な脳や神経細胞が形成されないことがわかってきました。今後は、脳特異的な酵素であるT9、T16が、脳の中のどのタンパク質の、どのアミノ酸に作用して、糖を付加するのかについての解明を急がなくてはなりません。
最近、脳の発育遅延等を特徴とする、ウィリアムズ−ビューレン症候群という遺伝病が報告されています。この患者には、一部の遺伝子の欠落が認められますが、私たちはその中にT16を作る遺伝子も含まれていることに注目しています。T9及びT16の機能をもっと詳しく研究することで、脳内の糖タンパク質の、脳の形成過程における働き、さらには遺伝病との関連などについて、解明することができるのではないかと夢を膨らませています。
胚への注入(マイクロインジェクション)はまさに職人技
注入するのは、受精卵の1〜4細胞期の胚。ゼブラフィッシュの受精卵はわずか1ミリ程度の大きさで、その細胞部分に試薬を注入するのは顕微鏡を見ながらの操作ですから熟練が必要です。しかも一度にたくさんの胚に試薬を注入しなければなりません。あまり時間をかけているとその間にも受精卵はどんどん分裂をし、実験に使えなくなってしまいます。まさに繊細さとスピードが求められる職人技です。
アドバイス
高校では
生物と化学が研究の基礎になりますから、できれば両方を学んできてほしいと思います。数学に関しては、私の研究では基礎的な計算ができれば十分ですが、論理的な思考のトレーニングという広い視野に立って、できればじっくり学んできてほしいと思います。
そもそも、大学受験を含めて、将来役に立つか立たないかだけの判断で教科を絞り込むことにはあまり賛成できません。社会へ出れば、役に立たないことを知っていることが本当の教養なのです。高等学校の勉強というのは幅広く学び、その中に得意科目があるというのが本来の姿だと思います。ですから授業を大切にしてください。授業を真剣に聞くだけでもかなりのことが学べるはず。学校での勉強を疎かにして家や塾でやり直すのでは恐ろしく非効率的です。
クローズアップ
どんな授業? 就職は?
4年次の卒業研究は実験が中心。仮説を立て、それを実証していく醍醐味が味わえると思います。マイクロインジェクションは大学院修士課程の2年ぐらいになればマスターできますよ。
卒業後は大学院進学が25%。あとは就職ですが、就職先としては、これまでのところ製薬会社や食品系の企業、それに化粧品関係など化学系の会社などが多いようです。
工学部・生物工学科 黒坂 光教授
- プロフィール
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実家が薬局を営んでいたこともあって、大学では迷わず薬学部へ。しかし薬を作ることよりも、細胞内の分子の働きを解き明かす生化学の面白さに魅せられ研究者の道へ。大学院で所属した研究室が、糖タンパク質の研究をしていたのが現在の研究のきっかけ。当時はまだ分析化学といわれる学問が主体だったが、遺伝子工学的手法も取り入れるようになった。’94年〜’95年にかけてアメリカの製薬企業の研究所へ留学、以来新しい酵素の発見に取り組む。予め想定した結果が実験によって得られた瞬間の歓びは何ものにもかえられないという。大阪府立市岡高等学校OB。