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量子力学が創り出す不思議な世界ー量子テレポーテーション!ー
工学部・情報通信工学科 外山 政文教授
テレポーテーションという言葉を聞くと物理学の研究よりもSF映画を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。しかし、量子力学が記述する量子の世界では、テレポーテーションも決して夢物語ではありません。実際に量子の世界ではテレポーテーションの実験が成功したという報告がなされています。いわゆる量子テレポーテーションといわれるものです。この不思議な現象を実現するミクロの世界における物質の性質と、テレポーテーションを可能にする理論について外山先生に伺いました。
ミクロ世界と量子力学
みなさんは、物質が分子・原子からできているということは知っていますね。その原子はさらに小さく分けることができます。原子は電子・陽子・中性子からできています。陽子と中性子はさらにクォークという粒子からできています。クォークは物質の最小単位の一つと考えられており、このような粒子のことを物理学では素粒子と言います。他に、我々に最もなじみの深い素粒子として電子と光子をあげることができます。光子は電子と電子との間で交換されて電磁力の担い手にもなります。
このようなミクロの世界を記述する力学を量子力学と呼んでいます。これに対比するものとして古典力学があります。変な言い方ですがわざわざ量子力学を持ち出さなくてもすむ世界を記述するのが古典力学です。
素粒子を始めとしてミクロ世界の粒子は、古典物理学では説明ができない不思議な性質を持っています。その一つが、2つ以上の状態の重ね合せです。いま“状態”といいました。言葉自体は普通の言葉ですが、量子力学では実は難しい概念で、そこに量子力学の不思議が凝縮しています。ここでは、これ以上の深入りをするのはやめて具体例で話を進めることにしましょう。
もつれる2つの粒子(量子力学の非局所性)
皆さんは電子を負の電荷と極めて小さな質量とを持った実体として教わっていますね。しかし、電子はこの他にスピン自由度というものを持っているのです。このスピンこそ極めて量子力学的な量であり古典的な理解が成り立たないものなのです。スピンは状態という言葉を用いて記述します。電子のスピンは半整数の1/2であることが実験的に分かっていて、このスピン1/2をもった電子の基本的な「スピン状態」は2つあり、しばしば「上向き」と「下向き」というように言い表されます。ここで「上向き」、「下向き」というのは便宜上使っているだけであり、要するに2つの状態にラベルを付けただけのものです。
さて、ここからが話の核心です。実は1つの電子は同時にこの「上向きスピン」と「下向きスピン」の両方の状態を持つことができるのです。これを電子が「上向きスピン状態」と「下向きスピン状態」の重ね合わさった状態にあるといいます。これが量子力学のいう重ね合わせの一例です。観測するまではどちらの状態にあるのかは分かりませんが、観測することで、重ね合わせ状態からどちらかの確定した状態へと変わります。この変化を「状態の収縮」と呼びます。
この状態の重ね合わせという概念は理解しがたいもので、実際、量子力学建設の立役者であったシュレーディンガー自身による「シュレーディンガーの猫」という有名なパラドックスを生んだほどです。さらに、この重ね合わせの真の不思議さは2つの粒子の重ね合わせにおいて決定的になります。それが量子もつれ(量子エンタングルメント)という状態です。これは、先ほどの1粒子の重ね合わせが2つペアになった状態の特別な場合です。たとえば、ペアになった粒子Aと粒子Bのそれぞれのスピンの向きが「Aが上向き・Bが下向き」と「Aが下向き・Bが上向き」との重ね合わせ状態を形成している場合です。このような場合、一方の粒子を観測してその状態が分かれば、もう一方の粒子の状態は観測するまでもなく、決まってしまうのです。たとえば、Aが下向きだと観測されれば、その瞬間Bは上向き状態に決まります。これは状態の瞬間収縮により瞬時に起こります。
エンタングルメントの関係にある2つの粒子は、どんなに離れていても、この性質を示します。しかも、これは一瞬で起きるため、2つの粒子の間に何かの作用を伝達するような粒子がある、というわけでもありません。何光年と離れていても一瞬で伝わるのですから、もしも何らかの粒子が媒介しているのであれば、その粒子は光の速度を超えていることになり、現在の理論では説明ができません。この量子エンタングルメントによる粒子間の遠く離れた相関を予言する量子力学の性質のことを「量子力学の非局所性」といいます。
天才も困惑した想像を超える世界
量子エンタングルメントによる量子力学の非局所性は、今でこそ実験によってその正しさが確かめられていますが、その概念の基になったアイデアは量子力学を否定する目的で考え出された思考実験が発端というのですから皮肉なものです。
その思考実験は当初「EPRパラドックス」と呼ばれていました。EPRとは、この思考実験を提唱した、アインシュタイン(Einstein)、ポドルスキー(Podolsky)、ローゼン(Rosen)の3人の名前の頭文字をとって名づけられました。
彼らのオリジナルのEPRパラドックスは、本稿で述べたスピンエンタングルメントとは少し違った思考実験にまつわるパラドックスですが、本質的なことは同じです。アインシュタインは、エンタングルメントによる非局所相関が本当にあるとすれば、エンタングルメントの関係にある2つの粒子が、光速度を超えた相互作用を持つことになり因果律が破れ、また彼自身の相対論と矛盾するので許せなかったのかも知れません。
アインシュタインは、「自然の事象が本質的に確率的である」ことを主張する量子力学の基本的な考え方に対して強い疑問を抱き、「神はサイコロを振らない」と量子力学を否定しつづけたと言われています。
相対論をはじめ量子論にも多くの業績を残した天才物理学者でも間違えることがあるのです。量子力学が描く世界というのは、それほど私たちの日常感覚からは理解しにくいものだと言うこともできます。
意味のある情報を送るには
このように粒子の状態という情報は、どれだけ遠く離れていても光の速度を超えて一瞬で伝えることができます。ところが、この量子エンタングルメントのみで意味のある情報を遠く離れた相手に送ることはどうしてもできないのです。
今、アリスとボブがエンタングルメントの関係にある2つの粒子を1つずつ持っていて、アリスが月に、ボブが火星に旅行するとします。そして、2人は目的地に着くと自分の持っている粒子の状態を観測する約束をしているとします。今、アリスが自分の持っている粒子Aの状態を観測しスピン下向きという結果を得たとします。その瞬間ボブが持っている粒子Bの状態は瞬時にスピン上向きだと分かります。ところが、この結果には2つの可能性が考えられます。1つはアリスが先に月に着いて自分の粒子Aを観測しスピン下向き状態を得た。もう1つはボブが先に火星に着いて自分の粒子Bを観測しスピン上向き状態を得たので、すでにアリスの粒子Aのスピンが下向き状態になっていた。この2つの可能性のどちらが起こったのかを知るには、例えばアリスはボブに古典的な通信手段(現在の通信手段)で連絡をとる必要があります。このように、この問題を解決する鍵は古典通信にあることになります。つまり、量子エンタングルメントだけでは意味のある情報を伝達することはできません。
そこで考え出されたのが3つの粒子を使って量子状態を送る「量子テレポーテーション」というアイデアです。ここでは、有名なベネットの量子テレポーテーションの話をしましょう。まず、アリスとボブがエンタングルメントの関係にある2つの粒子AとBを1つずつ持ちます。そして、月と火星とに別れてから、アリスはテレポートしたい第3の粒子Xと自分の粒子Aとでエンタングル測定という測定を行います。これは、AとBのエンタングルメントを断ち切ってXとAとをエンタングルさせるようなものです。このとき、粒子Bはどのような状態を取り得るかというと、エンタングル測定の4通りの測定結果に対応して、やはり4通りの状態のどれかを取ります。ここで、重要なことは、この段階ではボブの粒子Bの状態は特別な場合を除いて必ずしもテレポートしたい粒子Xと同じ状態になっていないということです。つまり、量子エンタングルメントだけではテレポーテーションは完成しないということですね。そこで、必要になるのが古典通信です。アリスが通常の通信手段で自分の測定結果をボブに知らせてやることにより、ボブは自分の粒子Bの状態を100%粒子Xの状態に変換することができます。こうして、古典通信の助けを借りることで量子テレポーテーションが完成するのです。
量子テレポーテーションの実用と応用
量子テレポーテーションが、1つの粒子の量子状態だけではなく、もっと大きな物質でも実現されるとすれば、人類が今まで発明してきた輸送方法にとって一大変革になるでしょう。しかし、現在のところ、テレポーテーションの成功例として報告されているもっとも大きな物質は原子です。さらに大きな物質となると量子状態が壊れやすいため、技術的には非常に難しいと考えられます。しかも、ここで「大きな物質」と言っているものも、量子力学が扱う対象として大きいという意味であり、実際にはSTM顕微鏡(走査型トンネル顕微鏡)のようなものを使わないと見えない程度の大きさなのです。
量子テレポーテーションは、物質を運ぶ装置よりもむしろ情報通信処理に役立つでしょう。その1つが量子コンピュータです。実用化には技術的な難問がまだまだ多く残っていますが、量子コンピュータの量子レジスター上にいわゆる量子テレポーターみたいなものを沢山構築することができれば、量子コンピュータの性能を一層飛躍させることができるかも知れません。
可能性の数だけ世界が存在する多世界解釈
状態の重ね合わせを前提とする量子力学では、この「重ね合わせ」というものはそもそも何かということがしばしば議論の対象となります。この議論は「量子力学の解釈問題」と呼ばれています。
量子力学が登場するまで、実在は人間の観測とは関係なく客観的なものだと考えられていました。しかし、量子状態の重ね合わせは観測によってある状態に収縮します。では、実在は客観的なものではないのでしょうか。
現在正統とされている量子力学の解釈は「コペンハーゲン解釈」と呼ばれ、多くの物理学者は、その根本的な意味はとりあえず棚上げにして、量子力学を使って仕事をしています。
それに対して、いくつかの解釈が提唱されています。その1つ「多世界解釈」を簡単に紹介しましょう。多世界解釈では、重ね合わせの数だけ世界が分岐し並行世界が存在するとされています。観測によって状態が1つに収縮するのではなく、観測により2つの並行世界が出現するのです。観測者自体が観測により分岐し、どちらか一方の世界しか知り得ないため、1つに収縮したように思えるというのがこの解釈の主張なのです。実用的な量子コンピュータが実現されれば、この多世界解釈が実証されることになるという“解釈”もあります。じつは、その目的で量子コンピュータが考え出されたという話もあります。
工学部・情報通信工学科 外山 政文教授
- プロフィール
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量子情報通信とその周辺問題および数理物理、量子電磁工学について研究している。量子力学の原理と直結した情報通信に可能性を感じている。