かつてエースとして、チームを甲子園へ導いたにもかかわらず、高校でのプロ入りは叶わなかった。そんな北山にとって、京都産業大学で始まった学生生活は挫折からのスタートだったと言っていい。
「自分には足りないものばかり」。大学ではこれまで以上にストイックに野球に没頭する一方、授業での学びは自身の将来像を見直す機会にもなった。さらに文系・理系10学部が一つに集まるワンキャンパスでは、学部を超えた仲間ができる。英語や共通教育の授業で知り合った他学部の友人は、程なく球場にも足を運び、素直な試合の感想を聞かせてくれる仲になった。
「そんな視点もあるんや」と、北山が外の声にも耳を傾け始めたのは、こうした仲間の声を聞くようになったからだ。「大学では野球の技術だけを磨くことはやめました。それよりも将来、長くプロとして戦っていくための、“自分の芯”が欲しかった。調子が悪かったり、ケガをしたときに、思い出せるものが。こういうことは高校の頃なら想像もしなかったと思います」。
そして迎えた大学4年次の秋。プロ野球ドラフト会議で北山は北海道日本ハムファイターズから8位指名を受ける。その後、大学で行われた記者会見で、これからの目標を記す色紙に、北山は「恩返し」と書いた。今までいなかったタイプの友人、一緒に戦った仲間、たとえ勝ち筋の見えない試合も声を絞り出してくれた人たちの顔。北山が4年間で出会い、つくられた芯は、過酷なプロの世界で戦う彼を、これからも長く支えていくだろう。
※掲載内容は取材当時のものです。