活動を始めたきっかけは?
私は、阪神淡路大震災の年に神戸で生まれました。たくさんの人に助けられながら街の復興とともに育ってきたことで、人の心の温かさというものを感じていた、ということがあります。その後、高校は全国でも唯一の環境防災科に入学し、ネパールでの防災教育などを経験するうちにボランティアに興味を持つようになりました。そんな中、高校一年のときに東日本大震災が起こり、ボランティアとして現地に入ったことがターニングポイントになりましたね。現地でまず感じたのは自分に対する無力感。初期に入ったというのもあって、水道・ガス・電気は不通。自分たちが行けば少しは役に立つと思っていましたが、仮に5日間泥かきをひたすらやっても、仮設住宅をたくさん回ったとしても、帰るときに被災地の光景が変わるわけでもなく、現地の人たちの生活が良くなるわけでもない。さらに神戸に帰ってきたら、何事もなかったかのような、当たり前の生活が広がっていて。そこに一番ギャップを感じました。それから、個人的にボランティアに参加したり、防災の勉強をしたり、積極的に動くようになりましたね。
「被災地・未災地交流会」とは、実際にどんな活動なのですか?
「被災地・未災地交流会」は、被災地の学生と未災地(=災害体験のない地域)の学生の両者を集めて語り合う場です。活動の意図としては、防災を根付かせていくことと、東日本大震災にどう関わっていくかを模索することにあります。経験者にとってはカタルシス効果、つまり災害体験を語ることによって自分の中で整理されていくという効果があり、未災地の学生にとっては災害体験を同世代から聞くことによって、よりリアルに自分事として受け入れ、防災意識の向上につなげることができるという狙いがあります。
活動の中で意識していることはありますか?
自分ではあまり実感はないですが、人間的に優しくなったかな、と思います。活動の中で人に寄り添うように心掛けていることが、日常生活の中にも出てきているのかもしれません。積極的にたくさんの人と会うようになったことも大きな変化ですね。今の時代、会わなくても電話やSNSで情報交換が可能ですが、「実際に顔を合わせる」ことにこだわって、仮に遠くても会いに行こうと思うようになりました。真剣に話したい時や会いたいと思った時はすぐ行動します。実際に会うことの大事さを気付かせてくれたのは東北。現地の人の話を電話で聞くのと、会って話すのとでは同じ話でも全然違うんです。同じ空間を共有することでその関係性は変わってくるのかな、と思います。
実際、たくさんの人に会うようになって仲間は増えましたか?
そうですね。ある学校での講演で、12クラスを回って話をしてほしいと依頼があったんです。さすがに一人では回りきれないし、かといって体育館に集めて一気にやっても、聞く方はきっとつまらない。そこで、活動の中で知り合った仲間たちに声かけてみたら、快くいいよと引き受けてくれて。関西だけでなく東北、九州、四国、東京など、遠方からも実費でも行くよと快諾してくれて、最終的には20人近くが集まり講演をしました。こういう時に駆けつけてくれる仲間たちがいるのは心強いですし、信頼関係を築けているからこそ実現できたのだと思います。全国各地にいるので、会議をする際などは苦労しますが、輪が広がっていくのはとても嬉しいです。
今後の目標を教えてください。
一番の目標は、被災で苦しむ人・悲しむ人を減らすことです。毎年さまざまな災害が起こって被害に遭う人がいるのは事実。今後そういった人を増やさないためにも、より多くの人に防災意識を持ってもらうために企画を進めています。企画の上での目標は、参加者みんなに仲良くなってもらうこと。「被災地の人と会えた」というだけではなく「この人たちと仲良くなれたから、今いろいろな事を話せている」と思ってほしいですね。被災体験の有無は関係なく、同じ目標を持った仲間として仲良くなってもらいたいです。それが後に個人のつながりに変わり、安心感になったりする。そうした結びつきが広がることで、社会的にも防災意識の向上を図れるのではないかと思います。
最後に、京都産業大学の魅力を教えてください。
サギタリウスチャレンジは学生の挑戦に寄り添ってくれる制度で、支援額も他大学に比べて桁外れに多いです。金銭面だけでなく、広報や学生部の方も人集めに協力してくれたり、外部へ向けてアウトプットする機会をくれたり、活動面でも支えていただいています。また、一つのキャンパスにいろんな学部の学生がいるので、自分から積極的に動けばいろいろな人・価値観に触れることができます。学部が違っても、同じ京都産業大学生だというだけでも仲良くなれたりするんですよね。そこは一拠点総合大学の利点だと思います。
※掲載内容は取材当時のものです。