なぜ心臓は左にあるのか?左右非対称性の謎に迫る
なぜ心臓は左にあるのか?左右非対称性の謎に迫る
動物の内臓に見られるさまざまな左右非対称性
—白鳥先生は「動物の内臓器官の左右非対称性」について研究されていると伺いました。私たちの外見は左右対称ですが、一方で、内蔵の配置などは非対称ですよね。考えてみればとても不思議です。何か理由はあるのでしょうか?
内臓器官の左右非対称性は、多くの動物で共通に見られますので、生物がそのように進化してきたことには理由があったと考えられています。そのことに触れる前に、まず、私たちヒトの場合、非対称に配置されているものにはどのようなものがあるか整理してみましょう。代表的なものとしてはまず心臓ですね。心臓は基本的に体の左側にあります。その他、胃や脾臓なども体の左側に位置しています。そして、意外と知られていないのが、肺。心臓を中心として左右に配置されており、左右対称に見えるかもしれませんが、左右で構造が異なります。肺は分葉構造といって葉っぱのような形に分かれているのですが、その葉の数が右肺と左肺で違うのです。心臓のある左側は、上葉と下葉の二つ、右側は、上葉、中葉、下葉の三つに分かれています。また腸管も、お腹の中でねじれて走行していますが、一定の左右非対称性があります。心臓は左右の違いが必要不可欠で生死にも関わりますが、他の内臓器官については、左右非対称性がどの程度重要なのか、不明な点も多くあります。
—心臓以外については、普段意識したことはありませんでしたが、私たちの体の中には多くの左右非対称性があるのですね。では、それらの内臓器官が左右非対称であるのには、どのような理由があるのでしょうか。
動物の進化において内臓器官が複雑になる中、限られたスペースに多くの器官を配置するために、左右非対称になる必要があったと考えられています。また、臓器の配置の非対称性だけでなく、臓器そのものの形が非対称である点も重要です。先ほどは、肺の形が左右非対称であることを説明しましたが、心臓をはじめ、他の臓器も、収納と機能の両面を最適化するために、必要に応じて非対称な形をしています。
—左右非対称性は、体の中で臓器を効率よく収納するのに必要なのですね。とてもシンプルな理由で驚きました。もし、左右非対称であることが重要なのであれば、例えば、心臓が右にあっても問題はないのですか?
すべての臓器の形や配置が完全に左右逆になった場合には、大きな問題は起こらないと思います。ただし、一部の臓器のみが左右逆になった場合には、大きな問題になりえます。特に、心臓の形や配置が最適化されていない場合には、生死に関わることもあります。つまり、臓器が左右非対称といっても、それは、体の中に臓器を適当に詰め込んだ結果そうなったという類のものではなく、その機能が最大限に発揮されるよう、遺伝子によってプログラムされたものなのです。ですので、基本的に、その配置に個人差はほとんどありません。
—左右非対称性が、収納と機能の最適化の結果として進化してきたものであることがよく理解できました。では、そのような左右非対称性が発生の過程でどのように作られるのか、そのメカニズムについてもお聞かせください。
実は、発生過程において左右非対称性が生じるきっかけは、とても意外なものなのです。我々ヒトの体には背—腹、頭—尾、左—右という三つの軸があり、発生段階においてこの順番で軸の形成が進んでいきます。頭—尾の軸が確立すると、体の真ん中あたりにノード(結節)と呼ばれる組織が現れます。この組織を構成する細胞の表面には繊毛が生えており、この繊毛が一定の方向に回転することによって、周囲の体液に、一定方向の水流が生まれます。そして、その水流の方向性の偏りがシグナルとなり、特定の遺伝子が体の左側だけに発現。その結果、左右非対称性が生まれるというメカニズムになっています。つまり、左右非対称性の始まりは、タンパク質分子でできた小さな繊毛の回転方向が、一定の向きに偏っていることから始まっているのです。
—分子の動きの非対称性が、最終的に臓器の非対称性へと繋がるのですね。とても興味深い話で、生命の神秘を感じます。ですが、なぜ体液の流れの傾きが、遺伝子発現の非対称性へと繋がるのでしょうか。
水流の偏りが遺伝子発現の偏りに繋がるしくみについては、まだあまりよく分かっていません。代表的な仮説の一つは、この水流の偏りによって、シグナル分子の分布に左右で偏りができ、その結果、左右非対称に遺伝子発現が起こるというものです。一方で、この非対称な水流そのものが、物理的なシグナルとなり、非対称な遺伝子発現に繋がるという考えもあります。どちらの仮説も、それらを支持する一定の証拠が得られており、まだ決着がついていません。
医療の進歩にもつながる発生生物学の研究
—内臓の左右非対称性については、まだまだ謎も多いのですね。先生は現在、どのような現象やメカニズムに特に着目されていますか。
既に説明したように、体が形作られる過程で、はじめは左右対称だった形態が、ある時期から左右非対称へと変化していきます。私は、その仕組みについてもっと知りたいと考えています。現在特に注目して研究を進めているのは、肝臓と腎臓です。これまで、心臓のように左右非対称であることが生死に関わる器官や、左右どちらかにしかない器官の形態変化の仕組みについては多くの研究が行われてきました。一方で、左右両方にあるものの形態や位置が左右で異なる器官の研究はあまり進んでおらず、その仕組みの解明に取り組みたいと思いました。左右どちらにもある器官については、左右の違いはわずかであると予想されますが、これまでほとんど着目されてこなかった臓器に目を向けることで、意外な発見につながるかもしれないと考えています。
—実際の研究の進め方、研究スタイルについてもお聞かせいただけますか。
モデル生物としてマウスを用いた、解剖学的な観察が基本です。器官の形が変わったり、位置が変わったりする時期のマウスを詳細に観察し、どのように左右非対称性が生まれていくのかを見ています。さらに、メカニズムを解明するために細胞レベル、分子レベル、遺伝子レベルの解析も行っています。
—こうした「発生生物学」の研究の面白さについて、先生はどのようにお考えですか。
発生生物学の魅力の一つは、単純に「動物の形がどのようにできるのか?」という不思議に迫ることができる点です。また、動物個体そのものを研究材料として解析できる点も魅力的で、細胞レベルや分子レベルの解析だけでは明らかにできない仕組みを解明できます。
そして臨床応用面としては、胎児に表れる異常の原因解明や治療につながるだけでなく、再生医学・再生医療にもつながっています。再生とは、細胞・組織・器官の発生を人工的に行うもの。そのため、再生医学・再生医療の実施には発生生物学の知見が不可欠となります。再生医療は、iPS細胞の発見により可能性が広がりましたが、例えば、iPS細胞から臓器を作ろうとした場合、左右非対称性を含めて正しい形に細胞が組織化しなくては、体の中で正しく機能する臓器を作ることはできません。左右非対称性が生まれるしくみを知ることは、再生医療の未来とも密接に関わってくるのです。
生命科学を広く、そして深く学べるそれが京都産業大学生命科学部の強み
—ここまでの研究者としてのお話に加え、教育者としてのお考えもぜひ伺いたいと思います。研究室の運営、学生との関わり方で意識していることがあればお聞かせください。
学生たちの研究テーマには気を配っています。一人ひとりの研究の方向性や成果がかぶらないような、自由に研究内容を広げていけるようなテーマ設定を心がけています。あと意識しているのは、研究の進め方を決める時に、学生自身に考えてもらって答えを出させること。その際、あえて学部生にも大学院レベルの質問を投げかけるなど、研究者としての成長を促すようにしています。
—自分で答えを探すのは簡単ではないと思いますが、そこでの成功体験は大きな自信になりそうですね。
はい。あと自信という点では、この研究室で学んだ学生たちは、実験動物の扱いに自信を持ってくれているように思います。先端生命科学科には「実験動物技術者養成コース」という副コースがありますが、そこで学んだ学生も多く活躍しています。動物施設や培養室など、実験に必要な設備も整っており、動物の研究を行う上では非常に恵まれた環境だと感じています。
生命科学部には、分子レベルの研究をしている先生から、細胞レベル、個体レベル、さらには、個体と環境との関わりを研究している先生まで、幅広い研究分野の先生が集まっています。先ほど説明したように、左右非対称性という個体レベルでの研究であっても、その発端は、繊毛分子の回転というミクロの世界から始まっています。幅広い研究分野をカバーしているうちの学部は、研究にも教育にもとてもよい環境だと思います。
高校生へのメッセージ
生命科学部は、生命科学を幅広く学べる点が一番の魅力です。医科学、食料学・農学、環境生態学など、さまざまなフィールドにつながる生命科学の教育・研究が展開されており、いろんな学生が学んでいます。皆さんの中には、進みたい分野が決まっている人もいれば、そうでない人もいるでしょう。決まっていないのも、私はいいことだと思います。それはつまり柔軟性があるという意味で、その時々で一番「これは面白いな」「これは大切だな」と思ったことにチャレンジできるからです。その点、生命科学部には広く、そして深く学べる環境があります。生命科学の特定の分野に興味がある人、まだ興味が固まっていない人、どちらにもおすすめしたい学部です。