ナノサイズのシリンジ型分子で毒素を注入 病原体のもつ巧妙な戦略を解明

ナノサイズのシリンジ型分子で毒素を注入
病原体のもつ巧妙な戦略を解明

分子のさまざまな形が多様な生理機能を生み出す

—私たちの体を構成する分子には、実にさまざまな形のものがあり、また、それら分子の形にはそれぞれ意味があると言います。最近、津下先生は、細菌が、注射器型の分子を持つことを発見されたと聞きました。細菌は、そのような形の分子で、一体何をしているのでしょうか。

私たちが構造を明らかにしたシリンジ(注射器)型のタンパク質分子は、実は、細菌が毒素の本体を細胞内に送り込むための装置でした。食中毒の原因菌として知られるあるウェルシュ菌は、いくつかの毒素を作り、それらが食中毒を引き起こします。そのうちのひとつがイオタ毒素です。ウェルシュ菌がつくり出すイオタ毒素はA成分とB成分の二つの成分からできています。A成分は毒素の本体で、ヒトの細胞内に入ると、細胞の形態維持や運動に欠かせない細胞骨格の働きを破綻させてしまいます。そして、B成分は、そのA成分を宿主となる細胞内へ送り込む機能を持っています。このB成分がシリンジ型の分子だったわけですが、その形が明らかになる前は、B成分がA成分をどのように細胞内に送り出すのか、そのメカニズムは未解明でした。
B成分の構造は、2020年、クライオ電子顕微鏡という最先端の機器によって明らかになりました。クライオ電子顕微鏡で見たB成分の構造は、まさに、注射器のような形をしていたのです。このナノシリンジともいうべき注射器で細胞の膜に穴をあけ、そこを通ってA成分毒素が宿主となる細胞の中に入っていきます。このシリンジの大きさは、200オングストローム(20ナノメートル)にも満たないものです。つまり、私たちが普段目にする注射器がおよそ10センチメートルとすると、そのおよそ500万分の1程度のサイズです。恐らく、地球上に存在する最も小さな注射器なのではないでしょうか。

肉眼で見えない分子の世界に隠れた生命の神秘に触れる

—先生の研究の今後の展望を聞かせてください。

イオタ毒素の研究は、そのメカニズムの全容が明らかになったかと思われましたが、ここで新たな疑問に直面しました。ナノシリンジの通り道は毒素本体であるA成分の大きさよりも細く、A成分はそのままのサイズでは通れないのです。電子顕微鏡での観察を続けていると、A成分がナノシリンジを通る直前、ナノシリンジに触れた際に、その構造が解けてひも状になっていることがわかりました。つまり、A成分がナノシリンジを通るときに、一度構造がひも状に変化することで、細いシリンジ内を通れるようになるのです。残る疑問は、ナノシリンジ内をどのようにして移動しているのか、また、辿り着いた細胞の中でA成分はどのように元の姿へ戻っているのかということです。

 

—分子は肉眼で見えないため、多くの人にとって、分子の世界はイメージしづらいものだと思います。先生の研究の魅力は何でしょうか。

確かに、分子の世界は、目に見えない分、現実のものとして実感しづらい分野かもしれません。しかし、私たち人間が、明確な目的を持って注射器という道具を作り出したように、単細胞生物は進化の中で同じような機能、形状のナノシリンジを作っていました。人間と単細胞生物、大きさも形状も何もかも違う二つの生物ですが、それぞれの目的達成のために同じ「注射器」を生み出した。しかも、進化は目的や意志を持たず、偶然の積み重ねによって起こるものです。偶然の結果、ナノシリンジのような分子装置が生まれ、そして、その事実を、電子顕微鏡を通じて目の当たりにしたことは、まさに生命の神秘に触れるような体験なのです。これが、構造生物学の大きな魅力だと思います。

—ありがとうございます。今回の研究は、大きな驚きを伴う発見になったと思います。ナノシリンジの研究は今後どのような形で社会に生かされるとお考えですか。

病原菌に侵されてしまった特定の細胞に、薬となるタンパク質などを直接届けたい時に、ナノシリンジの構造が応用できるのではないかと私は考えています。また、海外では、ナノシリンジの構造を使って、DNAの配列を読み解く、ナノポアシーケンサーと呼ばれる装置が開発されました。4種類の塩基からなるDNAがシリンジの細い孔(ナノポア)を通過する際の電流値を測定しているわけですが、言い換えると、ナノシリンジを、分子サイズの3Dスキャナーとして応用したものです。DNA分子をナノシリンジに通して、その形状をスキャンすることで、DNAの配列を解読するという驚くべきアイデアです。これまでDNAを読み解く装置は大型のものしかありませんでしたが、今回発明されたのは持ち歩けるほど小型。野外で使用することもできます。生物の設計図と呼ばれるDNA配列をより手軽に解読できるようになったのです。この技術を更に応用すれば、今度はタンパク質のアミノ酸配列を読むことが、将来的に可能になるかもしれません。

ミクロからマクロまで生命科学には終わりがない

—ここまでは研究者としての立場でお話しいただきましたが、ここからは、教育者としての立場についてもお聞きしたいと思います。ご自身の研究室で学生と関わる中で工夫していることなどはありますか。

私の研究室では、slackと呼ばれるコミュニケーションアプリを導入し、意見交換の活性化を図っています。論文講読などを経て得た知識をきっかけに浮かんだ疑問やアイデアをトピック別のグループに投げかけ、メンバーが議論します。もちろん盛り上がる時もあれば、すぐに話が終わってしまう時もありますが、このような自由な意見交換の場で出てくる何気ないアイデアが、研究を進めるにあたって重要な役割を果たすのです。こうして方向性の定まった研究は、京都産業大学の整った研究環境と構造解析の技術に後押しされて実を結びます。

—京都産業大学は先生の専門であるタンパク質の研究に力を入れています。そういう意味でも研究環境が充実していると言えそうです。

そうですね。京産大にはタンパク質動態研究所があり、私を含め5名の研究者が中心となって、日々情報交換などを行っています。人間をはじめとする生体を構成する最も重要な生体分子であるタンパク質の働きや形態を明らかにすることは大きな社会貢献につながると思っています。

高校生の方へメッセージ

生命科学の魅力は終わりがないこと。私が専門とする分子レベルの研究は、知れば知るほどわからないことが出てくる、広がり続ける宇宙のような分野です。生命科学が対象とするのは分子レベルの世界だけでなく、それぞれの生物やそれらが集まってできる環境など、地球上の生命活動すべてです。また、もしかしたら、近い将来、地球外生命体が発見されることもあるかも知れません。そうなったときに、彼らがどのような分子を持ち、どのようなしくみで生きているのか、興味が尽きません!
京都産業大学の生命科学部には、分子のようなミクロの世界を研究する研究者から、細胞や個体、さらには、個体と環境との繋がりなど、マクロの視点で生命科学を研究する研究者まで、幅広い分野で研究する教員が揃っています。研究すればするほど、楽しく面白くなるのが生命科学。誰も見たことのない分子の世界を、私たちと一緒に見てみませんか?

 
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