通商の地政学-EV(電気自動車)をめぐる欧米と中国の通商摩擦-2024.7.29
なぜEVか?
グローバルイシューとしての環境問題、その中でも地球温暖化の原因である地球温暖化ガスの4分の3を占めるCO2排出の削減は、全世界の政府・企業・市民が取り組まねばならない緊急の課題である。全世界のCO2排出元を見ると、約2割が自動車等の輸送機器から排出されている。自動車は生活にも経済活動にも無くてはならない輸送手段であるので、ガソリンを燃料とするエンジン車よりも環境に負荷を与えないモーターで走るEVへの転換が全世界で求められているのである。
では世界の自動車メーカーは、挙ってエンジン車からEVへと生産を転換し、政府も産業構造の転換のための政策やメーカーの支援を強力に推し進め、消費者も進んでEVに買い替えているかというと、そうではないのが実情である。一時のEVへの転換熱は冷めて、日米欧など先進国では様々な理由でEVの輸入制限をし始めている。どの国から輸出されるEVか? どこの国の自動車メーカーが生産するEVか? 中国産である。しかも中国国内で生産されて輸出されるだけでなく、海外直接投資で中国国外の工場で生産されるEVも含んでいる。EVへの転換を旗印に掲げたEU(欧州連合)の対応について検討する。
EUのEV政策の現状
世界の環境政策のトップランナーを自認するEUは、2050年までにEU域内の温暖化ガス排出を実質ゼロにする目標を掲げ、他の地域・諸国に先駆けてガソリン車からEVへの転換を進め、2035年にゼロエミッション車以外の販売を原則禁じることで正式に合意した(2023年3月28日)。しかしこの合意は、基幹産業としての自動車産業を有するドイツの主張を受け入れ、エンジン車の新車販売を全て認めない当初案を修正し、温暖化ガス排出をゼロとみなす合成燃料を利用したエンジン車に限り販売を認めるものであつた。EUはEVへの転換を進める基本方針は堅持しつつも、現実的な対応をしたのである。
しかし近年、転換はスピードダウンしただけでなく、ストップし、更には後退さえし始めている。コロナ禍を乗り切るための復興基金を立ち上げ、GXとDXを新たな産業の2本柱にして、「開かれた戦略的自律」を錦の御旗にして逆境を乗り切る構えであった欧州の勇ましさが、ここにきてトーンダウンした感がある。その原因は、勿論、急速なEVへの産業転換が大量の失業者を生み出すのを回避するための産業調整の時間が必要との現実的理由はあるが、何よりも本来EUの十八番であるはずだったEV生産の優位性が、電気製品や電池の生産では圧倒的な競争力のある中国にとって代わられつつあるという事実がある。それに加えて、現時点ではEVが高価格であるためにEU市場での普及を目的として、EU各国政府は購入に際して補助金を支給する政策をとったのだが、その補助金が価格競争力に勝る中国メーカーに渡り販売を促進するという、EUにとつては、予想外かつ屈辱的な結果を招来したのである(EUで購入されるEVの約3割は中国製である)。
EU・米国の対応
こうした現実に対し、フランスでは2023年12月に、上海汽車集団の生産するEVは輸送距離が長く環境負荷が大きいという理由で補助金対象外とする対策を打ち出した(2023年12月10日付、日本経済新聞)。そして新たに車種ごとに炭素排出量を反映した「環境スコア」を算定し、今後は同スコアが規定を満たさないと支給対象外となるとしたので、多くのアジアで生産された車種はそれに該当することになる。しかしこれではEUのメーカーが中国で生産したEVもその対象となってしまう。また2024年7月には、中国から輸入されるEVに対し、暫定的に追加関税の適用を始めると発表した。中国政府から不当な補助金を受けて安値攻勢を仕掛ける中国製EVが「欧州の自動車メーカーに経済的な損害を与える脅威となっている」とみなし、現行の10%の関税に最大37.6%を上乗せする追加関税を課すという措置をとったのである(2024年7月4日付、日本経済新聞)。同様な事情を抱える米国の通商代表部(USTR)は、EVへの税率を2024年8月1日に現在の4倍の100%に引き上げる案をすでに公表している(2024年5月22日付、日本経済新聞)。こうした欧米の対応は「保護主義」であるとして、欧米の識者からも批判の声が聞こえる。
通商の地政学化(Geopoliticization of Trade Policy)
果たしてこうした対応は、伝統的な「保護主義」と呼べるものなのか、そもそも中国がWTOに加盟した時点(2001年12月)で予測されたことなのか、とすれば「自由貿易」も「保護貿易」も概念が変わったとも考えうるのではないか。EUは、中国製のEVは政府の補助金を得ているので、「公正な競争条件」ではないとして、追加関税を正当化している。中国の「企業」概念が、そもそも欧米とは異なり、国家=共産党の企業活動への関与を排除するという発想が体制的・イデオロギー的にありえない中国は、EUの主張を容認するわけはなく、報復的措置(EUからの豚肉やブランデーの輸入に対する報復関税の賦課)をとる構えである(2024年7月4日、5日付、日本経済新聞)。さらに中国は、EUと関税同盟の関係にあるトルコ国内にEV工場を作る契約を締結し(エルドアン大統領も、中国の直接投資はトルコのEV産業を育成すると歓迎している、2024年7月4日9日付、日本経済新聞)、親中派の首相オルバン率いるハンガリーに中国メーカーの完成車工場を建設すると発表している。EV貿易に関しては、今や中国が「自由貿易」を標榜し、欧米諸国さらには日本が実質的な「保護貿易」政策を執らざるを得ないのである。
EUの構成国の中には、オルバンだけでなく、権威主義的傾向の政党・政治家がおり、BREXITに苦しむ英国の轍を踏むまいと離脱はしないものの、ヨーロッパ共通の価値や利益よりも自国の国益を優先する傾向が見られるようなってきた。欧州統合の足並みの乱れに、中ロ、更には(長年に亘りEU加盟が認められない)トルコといったEU域外諸国が、楔を打ち込み、EUの結束力を弱体化し、EU内の造反国とともに自国の国益の実現を狙っている。
EUは決して揺らぐことのない一枚岩の「価値の共同体」ではなく、獅子身中の虫に苦しめられ、「内憂外患」に四六時中悩まされているのである。「未完のプロジェクト」の欧州統合は、ますます見果てぬ夢になりつつある。かつて通商は、対外政策においてはローポリティクスとして、外交・安全保障のようなハイポリティクスよりも、重要性が低く見なされてきた。しかし現在進行しつつある世界の無政府状態化、中ロの主張する「多極的世界」化のプロセスの中で、通商関係には覇権争いが絡み、WTOは国益の極大化を図るレジームとなり、通商はますます地政学的な様相を呈しつつある。