彼?彼女?それとも… 2023.06.15
彼女は西洋からやって来た
「彼女」という言葉は、いつ、どのようにしてできたのでしょうか? 実は、日本語ではもともと男女ともに「彼」という言葉を使っていました。それに対して、英語ではheとsheを区別していました。その他の西洋語においても同じ区別がありました。明治時代になって西洋語を日本語に翻訳する際に、この区別をする必要が出てきました。そこで「彼女」という言葉が作り出されたのです。
似たようなことは東アジアの他の言語でも起きました。中国語も、韓国語も、もともとは「彼女」に相当する言葉はありませんでした。しかし、「彼女」を表すために、中国語では「她」という漢字が使われるようになり、韓国語では「クニョ」という言葉が作られました。このように、東アジアの言語は、西洋と出会い、近代化する中で「彼女」を作り出して来たのです。
言語 | 彼 | 彼女 |
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日本語 | 彼 | 彼女 |
中国語 | 他 | 她 |
韓国語 | 그 | 그녀 |
日本語・中国語・韓国語は「彼女」を新たに作り出した
言語 | 彼 | 彼女 |
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英語 | he | she |
ドイツ語 | er | sie |
フランス語 | il | elle |
スペイン語 | él | ella |
イタリア語 | lui | lei |
ロシア語 | он | она |
ヨーロッパの言語には元から「彼」と「彼女」がある
性の区別は必要か?
どの言語でも「彼」と「彼女」を区別しているわけではありません。例えば、京都産業大学外国語学部の10専攻語の中ではインドネシア語にこの区別がありません。西洋語では「彼」と「彼女」を区別しますが、これは、インド・ヨーロッパ語族と呼ばれる系統の言語には性の区別が深く刻み込まれているからです。同じヨーロッパの言語でも、インド・ヨーロッパ語族に属していないフィンランド語やハンガリー語では「彼」と「彼女」の区別がありません。つまり、「彼」と「彼女」の区別は普遍的ではないのです。
言語 | 彼 | 彼女 |
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インドネシア語 | ia(dia) | |
フィンランド語 | hän | |
ハンガリー語 | ő |
「彼」と「彼女」の区別がない
単数のthey
英語ではheとsheを区別していますが、性別が分からない場合や特定されない場合はどうすれば良いのでしょうか? 規範文法では、そのような場合にはheを使うことになっていました。しかし、性別が分からないのにheを使用するのはおかしいです。he or sheのような言い方もありますが、男性が先で女性が後というのも気になります。she or heにしても、問題の解決になりません。
実は、そのような時には「単数のthey」と呼ばれるものを使うという方法がありました。この語法は規範文法家からは批判されていました。しかし、近年はかなり広く行われるようになっています。例えば、「誰かが傘を忘れた」と言う場合、性別が分からない時には、Someone forgot his umbrella.ではなく、Someone forgot their umbrella.と言うのが普通になっています(『オーレックス英和辞典』)。また、最近は性のあり方の多様性が認識される中で、自身が男女のいずれに属するとも考えないXジェンダーの存在も知られるようになりました。このXジェンダーの人を指すのに、heやsheではなく、「単数のthey」を使うという用法も出て来ました。これは非常に注目を集めています。
他の西洋語では
このような性別を区別しない代名詞は、他の西洋語でも出てきています。フランス語では、性別に関係なく使われるielという新しい代名詞が有名な辞書出版社のオンライン辞書に登録されたのですが、大きな反発を引き起こしました。その他にも、スペイン語ではelle、スウェーデン語ではhenという代名詞が提案されています。しかし、これらの代名詞の使用が広がるには大きな困難があるように思われます。
近代化と西洋化
日本語は近代化のために、西洋語にならって「彼女」という代名詞を作り出しました。しかし、その西洋語において、性別を区別しない代名詞を求める動きが生じ、また、その動きが困難に直面している場合もあります。これはとても皮肉なことだと思います。日本語に「彼女」を作り出したことは真の近代化だったのでしょうか。しかし、当時、近代化は西洋化と分かちがたく一体のものだったのです。
平塚 徹 教授
外国語学部 ヨーロッパ言語学科 フランス語専攻