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現地在住の友人からの便り
以下の内容は、ジョグジャカルタ在住のA氏からインドネシア語専修教授・左藤正範宛に6月1日付けで送られてきたメールの概要です。被災者の生の声を知っていただきたく、本人の了解を取って、あえて公表することにしました。
ジョグジャカルタ在住A氏より
ご心配のメールをいただきながら、すぐにはご連絡できず、申し訳ありませんでした。
本当にご心配をおかけしましたが、わが家の家族および友人たちは何とか無事でした。
以下に、当日の「体験」をまとめましたので、ご一読ください。
5月27日、5時54分に発生した地震は極めて強烈でした。
幸いにも、わが家の4人はすでに起床しており、地震とともに、あわてて屋外に飛び出しました。
家屋の揺れはとてもひどく、壁にはいくつもの亀裂が生じていました。
停電のため、周りがどうなっているかはまったくわかりませんでした。家の電話はまったく通じず、携帯では、話はできず、時間のかかるメールのやり取りが何とか少しだけできる程度でした。
7時過ぎに、周りの被災状況が少しだけわかり始めました。
8時ごろ、ジョクジャカルタ市内にいる私たちは、家に入ることもためらわれるほどの不安に襲われていたのですが、南スマトラの親戚からのメールで、ジョクジャカルタ空港と市内のメインストリートで甚大な被害があることを知りました。
9時ごろ、異常なパニックに襲われました。ジョクジャカルタの南岸から「ツナミ(津波)」が襲ってくる、とのデマが流れたからです。ジョクジャカルタの南岸から市内の北部へ向かう交通量が異常に増えたため、それがデマをもたらす原因になったのかもしれません。
それはデマにすぎない、との情報もありましたが、私たちは心配し続けました。
10時から11時ごろ、相変わらず屋外にいて、どうしても必要な場合だけ、それも素早く家の中に入って用事をすませました。
16時ごろになってやっと、電気が点き、テレビも見られるようになり、初めて地震の震源地や規模、それに被害の最もひどかった所(ジョクジャカルタの南部のバントゥル県と中部ジャワのクラトゥン県)の状況が明らかになり始めました。
当夜、地震に見舞われた市民は屋内で眠ることはできず、家の前の道路にゴザを敷いて寝ましたが、もちろんまったく眠ることはできませんでした。
現在までの犠牲者のうち、死者は6,000名を超えているとのことですが、まだまだ今後どうなるかは、わかりません。
今は一日も早い復興を祈っているだけです。