久保 京子 さん

略歴

大阪市立高等学校卒業
外国語学部中国語学科 1985年3月卒業
株式会社スミトロニクス
(2008年2月現在)


ロシア出張にて(モスクワの赤の広場)

 

モスクワ事務所のスタッフとの1枚

 1985年に外国語学部中国語学科を卒業してからもうすぐ23年が過ぎようとしています。私は在学当時中国語研究会というサークルに所属していました。散々だった一年生の成績を挽回しようと二年生から参加した研究会でしたが、会の諸先輩が鍛えてくださったおかげで中国語の発音の美しさに気づき、その後二年生の夏休みに参加した中国・西安での短期留学と秋の学園祭で出演した中国語劇がきっかけとなり、中国や中国語にもっと触れてみたいと思うようになりました。四年生には担当教授のご指導の下、中国現代小説の原書に取組み、なんとか卒業論文を書き上げました。卒業後はどうしても中国に行きたい一心で、一年間アルバイトをして資金を貯め、1986年に中国・瀋陽の遼寧大学に留学しました。そして帰国後は中国語を活かせる仕事を求めて、大阪の貿易会社に就職し、1995年に東京本社勤務となって、現在に至っています。いまは中国向け業務から少し離れて、主にエジプト、韓国向けの輸出業務に従事しています。いまから思えば大学時代に中国語を学ぶ上で私にとって重要だったことは、研究会で発音を特訓してもらったこと、ラジオ講座のテキストを暗記したこと、卒業論文のために原書数冊を読破したことと、そして人間的に未熟な私を厳しくご指導くださった恩師の存在だと思います。そういった中で中国語の魅力に気づけたことは私にとって幸運なことでした。

 

 卒業後の23年間を振り返ってみて感じることは、在学中に出会えた恩師や友人がずっと私の心の中で大きな位置を占めていた、そしてこれからも占めるだろうということです。大学を卒業して社会に出れば当然さまざまな人たちとの出会いがありますが、社会という大海に漕ぎ出す前に出会う損得抜きの恩師や友人の存在は、社会の荒波の中で私の心の支えとなってくれました。尊敬できる恩師と心を開いて話しあえる友人を一人でも見つける努力をして欲しいというのが、皆さんにお伝えしたいことの一点目です。

 

 もう一点は、卒業後の時間は皆さんが想像しているより速く過ぎ去っていくということです。人間は自ら経験しない限り、自分の考えを変えることはなかなかできないものだと思いますし、特に歳をとればとるほどそれが顕著になるようです。かといって個人の経験には限りがありますが、それを埋めてくれるのが読書ではないかと思います。時間のある、頭がまだやわらかい大学時代にさまざまな分野の書物に触れて、心の中の抽斗に自分で見つけたことばをしまっておけば、将来辛いことがあったときにきっと役立つことと思います。

 

 現代社会はどこにいっても競争、競争で疲れますが、いつの時代も信念をもってぶれずにいれば、そうでないよりは辛いことを乗り越えるときに底力を発揮するように思います。そのために大学時代にできることは、かけがえのない恩師や友人と心の友となる書物を探す努力をすることではないかと考えます。結果として出会えるかどうかはわかりませんが、そういう気持ちをもつこと自体が将来何らかの力となるように感じます。以上の内容が後輩の皆さんにいま私がお伝えしたい内容です。

 
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