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高城 奈豆美さん
略歴
京都産業大学 ドイツ語学科1993年入学
オーストリア大使館商務部 上席商務官
(2011年4月現在)
ドイツ語学科を選んだ理由
私が京都産業大学のドイツ語学科に入学したのは、今から20年近く前のことです。私は高校から1年間イギリスの学校に通っていました。そこで知りあったヨーロッパの人たちが母国語以外の言語をいくつか操っていることに衝撃を受けました。イギリスから帰国後の大学受験の時に、これからは誰もが英語を話せる時代がくるから、自分はもうひとつ言語をマスターしようと考えました。本当はイタリア語の響きが好きで、イタリア語を専攻したかったのですが、東西ドイツが統一されたことを機にドイツは影響力が大きくなるだろうと考え、願書提出最終日の受付け時間ぎりぎりまで悩みましたがドイツ語学科を選びました。
大学での生活と留学
入学したからには卒業するまでにはトリリンガルになる!という目標があったので、比較的真面目に勉強していたつもりです。学生のうちにドイツに行きたいという目的もありましたが、よい仲間にも恵まれ在学中は勉強、遊び、バイト、恋愛を満喫し、楽しい学校生活でした。本来楽しいこと、ラクなことに流れやすい性格なので、このままだとあっという間に4年が過ぎドイツに留学しないまま就職してしまうのではないかという焦りが芽生え、2回生を終えてドイツのフライブルクに留学しました。
最初はフライブルクの大学付属の語学学校に通い、フライブルク大学の正規学生になった頃に当初の留学期間の1年が経とうとしていました。まだやり残したことがあると感じ、正規の大学生になったのだから納得する結果が出るまでドイツにいようと考え、結果3年間をフライブルクで過ごしました。当時、産大では海外での単位は認められませんでしたので、帰国後2年間は大学に通いました。
この頃は進路もプライベートも大いに悩んだ時期でしたし、入学して4年で卒業という一般的な路線から大幅にはずれてしまっていることも不安でした。背景を説明すると長くなるので割愛しますが、卒業後は日本を離れることも選択肢の中にありました。しかし、日本で仕事の経験がないまま海外に移るということに対して違和感があり、一度は日本で就職してみようと思い、同級生より3年遅れの就職活動を始めました。
就職と転職
今だから打ち明けられますが、いつでも辞めて海外に行けるように、就職先はあえて離職率の高い企業を選びました。動機が不純ですから甘い腰かけのような気分だったかもしれません。最初の赴任先が東京になり、慣れない土地で仕事を始めましたが、半年経ち自分の勤務先のサービス内容にまったく自信が持てないまま営業を続けていくことに疑問を抱き離職を決意しました。そのまま海外に移る選択肢はありましたが、もう少し日本で経験を積まなければと思い日本で転職しました。
転職先は、ドイツの家具メーカーの日本支社立ち上げ業務でした。文字通りドイツ人の社長と私の二人だけの会社。発注、経理、在庫管理、顧客管理、製図、営業を同時に受け持つため、毎日目が回るほどの忙しさでしたが自分たちで会社を立ち上げ育てていく面白さがありました。教えてくれる先輩もマニュアルも何もないところからスタートし、経験不足や認識の甘さによる失敗もたくさんしていますし、取引先の方々にご迷惑をおかけしたこともありますが、ここでの実績は現在の糧と自信となっています。
数年経ち、徐々に会社が大きくなり社員も増えた頃に給与も社会的な立場もステップアップしたいとぼんやりと考えるようになりました。そんな事を考え始めた頃、たまたま誘われてウィーンとザルツブルクに旅行し、そこでオーストリアに感激しました。ドイツに留学していた頃にはオーストリアには全く関心がなく訪れたことがなかったのですが、同じドイツ語圏なのにドイツとはまったく違う穏やかな居心地の良さに惚れ込みました。その旅行から1年ほど経ち、「何か転職情報ないかな」と買ったジャパンタイムスの求人欄に、現職場の募集を見つけ「これだ!絶対ここで働く!」と、早速履歴書を送りました。前年にオーストリアに旅行していなければ、この職につきたいと思わなかったはずですし、募集に目が留まることもなかったと思います。
幸いにも採用となり、はや7年目になります。私が勤務するオーストリア大使館商務部とはオーストリア連邦産業院貿易局の一機関として、国外で経済促進活動を行う機関です。主な業務は、オーストリア企業の日本進出やオーストリアからの輸出促進、販路拡大のサポート、各分野の見本市などのイベント開催、日本の市場調査、オーストリアからのVIP対応など多岐に渡っています。以前は別の部門の担当でしたが、最近は主にデザインや建築関係を担当しています。前職は家具メーカーでしたので、またこうしてインテリアやデザイン、建築関連に携われていることにつながりを感じていますし、好きな国と日本の橋渡しになっていることを大変幸せなことだと感謝しています。
最後に
どれだけ外国語に堪能であっても、日本で生まれ育ち、日本語を母国語としている限り、まず要求されるのは日本語のネイティブとしての常識です。外資系企業における日本人スタッフは、異文化を媒介する役目があり、両国の宗教、文化、思考、風習の違いを理解する必要があります。外国語学部に所属していると、海外に関心が行きがちだと思いますが、日本の文化や歴史、情勢もちょっと関心を持っておくことをおすすめします。
私が就職活動をしていた頃とは随分状況も変わっており、きっと今の学生さんたちの方がシビアな状況に直面していて、就職に関して真剣に考えていらっしゃるはずです。そこは重々承知したうえであえて書きますが、一見将来には何のつながりもないように見える、ちょっとした興味や面白いなと思うことが、いつどんな形で先につながっていくのか分かりません。くだらないことや、人生の寄り道と思えるようなことがあとあと役に立ったり、経験として活かされることがあります。いつかは点と点がつながってひとつの線になるはずです。就職に関して真剣に考えるのは素晴らしいことですが、それゆえに視野が狭くならないよう柔軟な思考を持っていただきたいと切に願っています。