平成29年度入学式告辞


新入生の皆さん、本日はご入学おめでとうございます。
また、この中継を大教室でご覧になっておられる保護者の皆さまにおかれましても、ご子女のご入学心よりお慶び申し上げます。

さて、新入生の皆さんは受験も終わり、これからの大学生活について今までより自由になるだろうという期待感と、大学生・大学院生として授業や研究、課外活動など、本当にうまくやっていけるだろうかという一抹の不安。そのような思いが交錯した、大学生活の初日の気持ちではないかと思います。誰しも今まで経験したことのない新生活の第一歩はおそらく一生記憶に残るものです。その新鮮な気持ちをどれだけ自己の夢の実現につなげて本学を卒業されるかは、皆さん自身のこれからの学生生活にかかっていると言えます。

大学で最も重要なことは自ら積極的に学ぶ姿勢です。高校までの学習はもともと答えが存在する問いに対して答えを導き出す能力を伸ばすことと言えます。それに対して、大学で学ぶことは、答えが一つではなく、いろいろな条件のもとでいくつあるかも明確でない問いに対して答えを提示する能力を身につけることと言えるでしょう。

私の専門は言語学です。言語学は人間の言語を研究対象にしています。人間が現在のように進化したのは、物事を考える、つまり、思考の道具としての言語の発達が大きく寄与しています。その言語の発達には人間の脳の機能が深く関与しています。言語は主に口などの音声器官を使って発話すると思いがちですが、音声器官は言語運用の一部に過ぎません。本当の言語の運用は脳が担っています。そして、大半の人の言語の理解と生成は、大脳の左脳の言語中枢(特に、「ブローカ野」と「ウェルニッケ野」)が関与しています。その証拠に声を出さなくても我々は会話を成立させています。たとえば、声を出して友達と会話をしている夢では、実際に口を使って発話していません。夢の中の発話は言語が脳で作られていることを示す一例です。つまり、我々人間は大脳の言語中枢を使ってモノを考え、音声器官を使って相手に自分の意思を伝達したり、さらには、文字という伝達手段を使って成し得た業績を後世に残し高度な文明を築いてきました。また脳は他人と共有できません。思考を司る脳の多様性こそが自分と他人との違いを形成しているのです。

言語による意思疎通の重要性を示す物語があります。
それは旧約聖書の「バベルの塔」の物語です。バベル(Babel<*bāb-ilu)とは、セム系の言語であるアッカド語(「目には目を、歯には歯を」で有名な「ハンムラビ法典」の言語)で、“神の門”を意味します。「旧約聖書」の「創世記」11章には、「世界中は同じ言葉を使って同じように話していた。彼らは一つの民で皆一つの言葉を話しているから、このようなことをし始めたのだ。我々は降って行って、直ちに彼らの言葉を混乱させ、互いの言葉が理解できないようにしてしまおう。」という内容が読み取れます。これは人々がみんな共通の一つの言語を使って意思疎通を行い、協力し合って天まで届く「塔」を建設する試みに対して、神が怒って世に多くの言語を作ってコミュニケーションを不可能にし、塔の建設を中止させたというものです。ちなみに、この「バベルの塔」の原型(ジッグラト「聖塔」)を作ったのは、古代のメソポタミア地域に定住していたシュメール人で、彼らは人類最古の文字と言われる「楔形文字」を創造した民族です。

自分で熟考して相手にその意思を伝達するためには、常に脳を鍛えることです。そのためには、日頃からどんなことに対しても、探究心や好奇心を持ち、日常生活の中で、ふと興味がわいて疑問に思った事象に対して、自分なりの答えを導き出す鍛錬こそが脳を鍛える術だと思います。

そこで、私の研究領域からわかりやすい例を紹介したいと思います。
日本語の助詞の「ハ」と「ガ」の使用法を考えてみましょう。皆さんは日本語を母語としない日本語学習者から「日本語の助詞の「ハ」と「ガ」の違いを説明してください。」と言われたら、明確に説明できるでしょうか。この2つの助詞の用法の違いは詳細に研究すれば非常に奥の深い研究になりますが、我々日本語母語話者はあまり意識しないで直感的に、つまり脳を使って、この二つの助詞を使い分けています。しかし、両者を使い分けることはできても、その用法上の違いを説明しなさいと言われると、ハタと困ってしまうのではないでしょうか。

(例)「昔、ジョンという名前の王様がいました。ある日、王様は城を抜け出し、町へ出かけました。」
(英訳)「Once upon a time, there lived a king named John. One day, the king got out of his castle and went to the town.」

日本語教育では、「王様が」の助詞「ガ」は「王様の話題について聞き手がまだ知らないと話し手が想定している情報(=新情報)」を提示していると言えます。そして、その王様を受けて、「ある日、王様は」の助詞「ハ」は、「話し手と聞き手がすでに共有していると想定される情報(=旧情報)」を提示していると言えます。未知の情報または新情報を表す「ガ」に対して、「ハ」は「すでに話題に出した旧情報」を表しているのです。これに対して、英語では日本語の「王様が」に「a king」と不定冠詞「a」を使用し、「王様は」にはその「a king」を受けて「the king」と定冠詞「the」が使用されます。話し手の伝達したい意図を日本語では助詞、英語では冠詞という品詞の違いで表出していることになります。

このように日本語を言語の構造の違いという視点から考えますと、日本語母語話者も留学生の皆さんも「身近な日本語」を大いに勉強することで、自分自身の視野を広げることと同時に外国語を学習するという強い動機付けにもなると思います。使用できるが、説明できない。「説明困難なこと」、「不思議なこと」、「面白そうなこと」を、自分でできるだけ脳を使って考え、実証的にその真実を明らかにすることこそ、研究の醍醐味だと思いますし、勉強するモチベーションを高め、自立した大学生活への第一歩と言えると思います。

特に、大学院に入学される院生の皆さんには、指導教員から厳しい研究指導を受けることがあるかもしれません。論文は今までにない新しい知見の提示が命であり、他の研究者がすでに結論付けたものは単なる追認にすぎません。論文の作成で思ったようなデータ収集や実験結果が出なくて、時に落ち込むことがあるかもしれません。しかしどんな場合でも、本学の「建学の精神」には、「やり始めたら最後までやり抜く、自己の信念を貫き通す精神力」と、「人倫の道を踏み外すことのない、高い倫理観」が謳われており、研究不正とは全く無縁の充実した研究活動に専念し素晴らしい成果を上げられることを期待しております。

本学は上賀茂神社のご祭神が降臨されたという「神」の「山」と書いて神山(こうやま)。その由緒ある地に、52年前の1965年に開学しました。この地には創設者である荒木俊馬先生の「建学の精神」が息づいています。その精神に込められているマインドは、「明朗公正で、優れた協調性と正確な情勢判断力をもって、国内外を問わず活躍できるチャレンジの気概と、やり始めたら最後までやりぬく力」です。このマインドこそが本学で学んだ者が代々引き継ぎ共有している気風、「神山STYLE」なのです。このSTYLEは神山キャンパスに集う皆さんだからこそしっかりと浸透するものと信じています。また、大学は一昨年の創立50周年を機に、新たな大学像として、「むすんで、うみだす。」と、新たな学生像として、「むすぶ人」をスローガンに掲げて力強く邁進しています。

結びにあたり、皆さんにはこの新たなスローガンのもと、本学の伝統ある「神山STYLE」の気風をもって、この神山キャンパスに集う仲間と共に有意義で充実した大学生活を過ごされることを祈念して学長告辞といたします。


平成29年4月2日
                     学長 大城 光正
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